短編小説

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英雄と歌姫6

 傲岸たる女王のように、少女――ソインは言い放った。 けれどその凛とした声には聞き覚えがあった。 時折、海の向こうから聞こえた歌。あの主だ。 シンは何かを答えようとして、目を瞠った。 声帯を震わせようとする。音を押し上げようとする。なのに、…

英雄と歌姫5

 満月の夜だった。 ひんやりとした空気が気管を通って肺に染みてゆく感覚があって、シンは眼を閉じる。夜の漣が淑女の奏でる楽器のように響く。 体外に広がる静謐な空間が心地よかった。熱のように荒れ狂う衝動をおさえるにはちょうど良い。 エスの内なる…

英雄と歌姫4

 数日間、晴れの日が続いていた。空のあかるさに時折目を細め、シンは軽快な足取りで自室の隣へと向かう。 おざなりにノックをして返事を待たずに入ると、ベッドに腰かけたままの男が不機嫌な顔をしていた。――太い弦をはじくような音。「おはよう、エス。…

英雄と歌姫3

 海の向こうから聞こえてくる歌声は、おそらく自分と同じぐらいの少女のものだ。 けれど自分とはまったく違う。声には自信と余裕が満ちて、歌う喜びが溢れている。 鮮明でよく響き、誰にもひとしく降り注いでいる。 いつもは、女神を讃える歌だったり練習…

英雄と歌姫2

 海の向こうから聞こえてくる歌声は、おそらく自分と同じぐらいの少女のものだ。 けれど自分とはまったく違う。声には自信と余裕が満ちて、歌う喜びが溢れている。 鮮明でよく響き、誰にもひとしく降り注いでいる。 いつもは、女神を讃える歌だったり練習…

英雄と歌姫1

 むき出しになった鉄格子が、自分を閉じ込めるためのものだと知ったのはいつだっただろう。 その向こうにはただ、ただ青。無限の海が広がっている。白い鳥は競うように飛んでゆき、シンの羨望を振り払って消えていく。 自分のほかには数人の老女だけ。その…

英雄と歌姫0

 ――奏でる旋律は神の息吹のごとく、響く歌声は大海のごとし。* その世界は、汚染されていた。 地は汚れ海は淀み、空は曇って光を届けない。 汚染の規模は気まぐれな踊り子のように変動した。 不定期に汚染がおさまるときがあり、人々はいつとも分らぬ…

真の聖女が現れ追放された元聖女は、もふもふの相棒と静かに生きたかった9

 ティアレもまたうなずき、口をつぐんだ。 ――明らかに偽名だ。自分と同じ。 おそらく高貴な身で、忍んで行動しているのだろう。(……武の名門の方かもしれない) なんとなく、そう考えた。武芸の心得があり、しかもしぐさの一つ一つに気品が感じられる…

真の聖女が現れ追放された元聖女は、もふもふの相棒と静かに生きたかった8

 よく通る声は耳を打ち、男たちの手を止め、振り向かせる。「なんだてめえは?」「――聞こえなかったのか。失せろと言ったのだ」 あまりに力を持った声に、ティアレは震えるまま目を見開いた。 長い外套に、目深にローブを被った長身の影がそこに立ってい…

真の聖女が現れ追放された元聖女は、もふもふの相棒と静かに生きたかった7

 ――その日も、イア・・にとって馴染んだ一日になるはずだった。 長い髪をきっちりと縛り上げて被り物をし、前掛けをかけ、袖を軽くまくる。軽く掃除と洗濯からはじまり、食事場としての《金の卵》亭の配膳係として立ちまわっては少々野卑な野次を困惑まじ…

真の聖女が現れ追放された元聖女は、もふもふの相棒と静かに生きたかった6

「イア! こっちも頼むよ!」「はい!」 注文の料理をテーブルに届けたとたんすぐに女将の声が飛んで、ティアレはすぐに身を翻した。 昼時の《金の卵》亭は食堂として大いににぎわい、すでに酔っぱらって赤ら顔をした男たちや、雑談まじりに食事をとる者た…