傭兵となって帰ってきた青年は、幼なじみの少女に告げた。1

「大昔からさ、この坂の上から太陽がよく見えたんだって。あ、昔は天然のやつだったんだって」

 メエエ、と呑気な羊の声にまじって、もっと呑気にエミリーのやつが言った。

「すごいよねえ。太陽って大昔は、天然のものがあって、そのまま空に浮かんでたんだって。信じられる? 御子さまや百賢者の力もなしに太陽があって浮いてたとか」
「……子供騙しだろ、そんなの」
「えー? 夢がないなあ」

 俺の隣でエミリーが頬を膨らませる。間抜けな顔だ。子供か。天然の太陽なんてものがあるわけねーだろ。

 無駄話してる俺とエミリーの前にあるのは草原だ。ただただ馬鹿みたいに広い草原に、好き勝手に草を食んでる羊どもがいる。緑の大地に白の羊がまばらに散ってる光景は、見る者すべてを呆けさせるんじゃねーかってぐらい長閑のどかだ。

 それ以外は青。もう眠くなるぐらい、春の晴れた空だ。最近やたらと曇った日が続いてたが、こんな見事な晴れはやっぱり気分が良くなる。この時だけはうじうじしたのも吹っ飛ぶ。

 背中には長い坂。山に続く坂がある。この坂をのぼりきると太陽がよく見えるとかっていうんで、太陽の坂なんて名前がついてる。
 その頂上に、誰も見向きもしねえような古い神殿がある。

 何もかも現実感がねえ。
 故郷のフィラン村こそ世界の終わりみたいなド田舎だと思ってたが、まさかそれを上回るクソ田舎があったとは。

「ユージーンは変わらないねえ」

 のほほんとした調子でエミリーが言う。
 いきなり、それが癪に障った。――変わってないだと?

「お前のほうが変わってないだろ。いつまでも呆けた面しやがって」
「あはは。ほら、その鋭い切り返し。でも、そうだなあ。変わらないわけないよねえ」

 苛立って言い返しても、エミリーのやつはやっぱりのほほんとしている。それこそ、こいつのほうが昔から変わってない。

 エミリーは昔から、フィラン村の女どもの中でも特にボケた奴だった。何をするにも鈍くさくて、馬鹿にされても怒らない。いつもにこにこしている。――見てるこっちがイライラするほどだ。

 見てられないからエミリーの代わりに言い返して(手足が出たことのほうが多かったが)、いつの間にかこいつの兄貴分みたいに見られるようになってた。エミリーのやつも味をしめて俺に懐いてくる始末で。

 かといえばエミリーは妙に意固地なとこがあって、単にバカなのか度胸があるのかわからないが、いじめっ子どもから逃げ出したことがなかった。なんでかと理由を聞いてみたら、

『逃げてもどうせ同じ村に住んでるからねー。逃げられないものから逃げるのはあんまり好きじゃないんだ~』

 なんて生意気なことを言った。間抜けのくせに、変なところが達観していた。
 七年経ったところで、そういう性格は変わってないようだ。
 ……癖のある栗毛をなんかいい感じに結んでるのとか、雰囲気が少しばかり変わったのは、まあ認めないでもない。

 でも俺のほうが断然変わった。身長はぐいぐい伸びていまやエミリーのつむじを見下ろせるぐらいだし、肩幅や胸のまわりにも筋肉がついて、手足だって長くなった。

 色々なものがいやになってフィラン村を飛び出して七年、クソガキが傭兵になって戦場駆け巡って生き延びたんだからそりゃ図太くもなる。俺としては“立派になった”ぐらいは言われるべきだと思う。
 ――変わってないなんて屈辱の極みだ。あのクソガキの、無力な自分から変わってないなんて。

「……平和だねー」

 何を考えてるのか、エミリーがまた間延びしたような声で言う。

「そうだな」

 思わず、ぼけた返事をしてしまった。いつもならそんな意味のないことなんてしねえんだけど。

「いい天気だなあ。あの太陽の中で、誰かのおじいちゃんやおばあちゃんや曾じいちゃん曾ばあちゃんがたくさん見守ってくれてるのかなあ。だから太陽の光って温かいのかなあ?」
「……んなわけない。死んだらそこで終わりだ。何もねえよ」
「ええ?」

 俺が正直に吐き捨てるように言っても、エミリーはやっぱり間延びしたような反応をする。……ほんとこいつ、変わってねえな。

(――死んだら終わりだ)

 心の中で、俺はそうつぶやいた。それはまがりなりにも、命をかけて金を稼ぐ――傭兵なんてことをしてきて、痛いほど実感したことだった。死んでいった同僚と生きている俺、何が違うのかはいまだにわからない。――不本意だが、実際俺は、とりわけ腕が立つというわけではない。

 死線をくぐるたび、なぜか思い浮かぶのはあのド田舎のフィラン村の緑、そしてなんとも間抜けなエミリーの声だった。おおーいユージーン、と呼ぶ間延びした声。

「スタンレーのとこの曾じいちゃんは御子さんになったんだっけなー。曾じいちゃん、本当に元気だったねえ」
「クソ爺だろ、あんなん」
「あはは。ユージーンが悪く言うからだよ~。エマのところのおばあちゃんは、ユージーンも好きでしょ?」
「……元気か、あの婆」
「元気だよ~。エマもねえ、結婚して子供が三人いるんだあ。みんな可愛くてね~。おばあちゃんも楽しそうだよ」

 まるで自分のことのようにエミリーは楽しげだった。――かくいうこいつはいまだ結婚すらしてない。まあ、俺もだけど。

 エミリーの語るフィラン村は、七年経ってもまるで変わらないようだった。特に熱心に聞きたい話じゃねえ。
 これまでならうっとうしく思って遮ったであろうその話を、いまの俺はそのままだらだらと聞いていた。

 ――いまは、この何気ない話こそが一番ましなものに思えた。少なくともこの間は、エミリーの、普通の笑顔がある。

 さしてまともに反応するでもない俺相手に、それでもエミリーはとめどなく喋って、やがてふうと息をついた。それから、立ち上がって伸びをする。

「じゃあ、行こうか」

 唐突だった。やっぱりとぼけたようないつもの調子で、それはつまり――迷ったり未練を残したりするのではないということで。
 つかのま忘れていた傷の痛みがふいにぶり返したみたいに、鈍くいやな感じがあった。

「……意味、わかってんのかよ」
「わかってるよー。私、太陽の御子になる。へへ、それでユージーンを上から見下ろしちゃうもん」

 ――いつもと変わらないおどけた調子。
 かっと頭に血がのぼった。

「ふざけんな! 太陽の御子になるじゃねえよ、それはただ、死ぬってことじゃねえか!」

 俺は立ち上がって、エミリーを睨んでいた。――そして、ずっと腹にたまっていたものを爆発させた。

「そんなの――ただの、生け贄だろ!」

 太陽の御子。突如エミリーのもとにやってきたというあの神官どもが並べ立てた御託。
 遥か大昔、百賢者によって太陽はつくられた――その太陽は選ばれし者の清き心臓を核にしているだとかなんとか言う。
 つまり生け贄だ。選ばれた生け贄を一人捧げることで、俺たちの頭上に浮かんでるあの太陽は維持され続けているというのだ。

 馬鹿馬鹿しい。
 ――太陽の御子とやらがどうやら実際の仕組みらしいことはわかる。そこまでは理解できる。

 でも。

「……お前が、お前みたいに鈍くさい奴が、そんな大層なものになる必要はないだろ!!」
「ええー、ひどいなあ。私だって、太陽の御子になることぐらいできるよー。覚悟を決めて、あそこで命を捧げればいいんだもん」
「! ふ、ふざけ――」
「ふざけてなんかないよ。ちゃんとわかってるもん」

 やっぱり間延びした調子で、でもエミリーは決してふざけた様子もなく言い放った。
 頭に血がのぼっているのに、俺は言葉に詰まった。喉が爆発しそうなほど、叫んでやりたいのに。ありえないと否定して、たたきつぶしてやりたいのに。

 ――なんでこいつなんだ。なんでエミリーなんだ。
 生け贄なんて他の奴でいいだろ。もっとそれっぽい奴がいるだろ、なんでこいつなんだ!

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