血煙と炎と剣戟の中で――タウィーザは、運命の女に出会った。
武具の一つもつけず、見るからに日頃剣など握ったことのない細腕が、けれど屈強な男を殴り倒す。冗談のような、ひどく悪趣味な喜劇じみた光景。
タハシュの血をのんだのだと、すぐにわかった。
血に汚れた横顔は張り詰めて、炎の光で金色に光る目が険しく前を向いている。
だが――それだというのに。
(泣いている)
その瞬間、タウィーザは雷にうたれたような衝撃を受けた。爪先から脳天までを、抗いがたい何かが駆け抜ける。
女に涙のあとなどどこにも見えない。それでも、泣いているのだとタウィーザは確信した。
女は張り詰めた横顔は痛々しいほどで、タハシュの血に選ばれたものとは思えぬほど脆く見える。だがその脆さは、研ぎ澄まされた刃のもっとも先端の部分でもあったのだ。
女は心で泣きながら、ひたすらに生死の境を突き進んでいく。炎と喊声の中、倒した敵の血を啜り、顔を歪めながらも乱暴に口元を拭い、次の敵に対峙する。
――なぜ。
何が、あの女をそこまでそうさせるのか。なぜ、あの女はこんな戦いに身を投じたのか。
タウィーザは気づけばその女の後を追った。もはや女から目を離せなくなっていた。頭が痺れ、周りの炎にも感じなかった熱さが全身に駆け巡っている。
気づけば舌なめずりをしていた。
ここが戦場であり、自分の同胞が敗北しつつあることさえもどうでもよくなった。
その女の名がヴィヴィアンであると知ったのは、王都を奪い返された後のことだ。
滅ぶなら滅べばいい。
集合した戦士たちに熱弁をふるう族長を見ても、タウィーザのその思いは変わらなかった。
団結、決起、聖戦――それらは身の回りでうるさく羽虫のように飛び、周りの熱狂は顔のまわりにたかる蠅のように感じられた。
数年前、《外》の民との接触があった。《タハシュ》を神と知らぬ哀れで野蛮な者たちを、タハシュの民は寛大をもって接した。
まさかその《外》の民のほうも、同じようなことを思ってこちらに接しているとは考えもしなかったのだ。
その意識の違いからどんどんこじれて、ついに武力衝突するに至ったのだ。
馬鹿な話だ、とタウィーザは思った。
神を奉じ、選ばれし勇敢な民である我々は、誰よりも優っている――その根拠のない自信が、現状を見誤らせた。
《外》の連中もたいがい偏狭で愚かだが、数が違う。国土も、山の民などとは比べものにならない。
少しまともに考えれば、山の民が力でやりあおうとするなどどれほど馬鹿げているかわかるはずだ。
だが、《タハシュの民》には救いがたい傲慢さがあった。
父を失ったときから、タウィーザははっきりそう感じていた。
唯一なるタハシュは生命と戦の神だ。一方で、戦のないときは暴虐の神にもなりうる。
敵があり、戦があるときはいい。敵を贄とすればいいのだから。
だがそうでないときはどうするか。
自分たちの血を捧げるしかない。自分たちを庇護してくれる神に、動物の血など与えられない。そういう理由で。
《タハシュの民》の中で、贄を選ぶのだ。
守ってくれるはずの神が、守護を約束したはずの民に供物を要求する。
――馬鹿な話だ、とタウィーザは内心で吐き捨てる。
タウィーザの両親は贄だった。
全知全能なるタハシュに捧げられし尊い贄などということになっている。
だが神の介在などどこにもない。あるのは狭い輪の中でうごめく醜い嫉妬とやっかみだけだ。
父は疎まれただけだ。
タウィーザの父は一族の中では珍しい現実主義者で、タハシュへの贄のために優秀な者が何人か殺されていることに疑問を持っていた。
タハシュに嘉(よみ)されし者たちでありながら、タハシュへの贄のために優秀な人材を失うことは逆に神への冒涜ではないのか。一族の将来における重大な損失ではないのか。
『……お前は決して贄になどなってはならない。もし強いられそうになったときは、この山を下りろ。己のために生き、己で何事かを成せ。神ではなく、己を信ずるのだ』
父はいつも、息子にそう言い聞かせた。それは、息子を愛する父親としての言葉だけではなかったように思える。
長い、不変の平和は停滞をも意味する。
他の部族との争いも絶えて久しい今、果たしてタハシュの戦の加護は必要なのか――そのために一族を縛ることは必要なのか。
《外》の者たちと接触するよりずっと前に、タウィーザの父は一族の抱える欠陥が見えていた。
それゆえに、平穏を乱すものとして殺されたのだ。
神への贄という名目で。
父に殉ずる形で母も贄とされ、幼かったタウィーザだけが残された。
孤児となったタウィーザは、《タハシュの民》全体の子供として育てられた。
要するに使い勝手の良い奴隷だった。
『お前は道を誤ってはいけない。タハシュは常に見ておられる。タハシュに、その民におのが血肉のすべてを捧げよ』
周囲は幾度となくタウィーザにそんな言葉を浴びせかけた。それは耳触りのいい呪いの言葉であることは明らかだった。
親の罪を償えとでもいうように、あらゆる雑用に体よく使われた。
緊張の高まっている他部族との交渉に赴くときはつねに先頭に立たされた。肉の盾とされたのだ。
《外》の者たちとの緊張が高まり、ついに決裂して武力での衝突が避けられなくなったとき、長老たちは嗤った。
タウィーザの父の、平和な世で戦神をもつことへの疑問を、愚見であったと嗤ったのだ。
だがタウィーザこそ、まるで状況が見えていない愚かな彼らを冷笑した。
避けようと思えば、戦いは避けられたはずだ。
タウィーザは平和主義というわけではない。だが戦う前から彼我の戦力差は明らかだった。《タハシュの民》がどれだけ優れた戦士の集まりであったとしても、相手には人口や資源という圧倒的優位がある。
こちらの得意とする山中での電撃戦を主体にするなら、間近の勝利は得られるだろう。
だがそのあとでどうなるというのか。
勝利とは、相手を完膚なきまでにたたきのめして屈服させるか、完全に懐柔し手懐けるかのどちらかしかない。
《タハシュの民》では、広大な国土と人口を持つ《外》の者を、完全に叩きのめして征服するなどということは不可能なのだ。
現実が見えぬまま衝突し敗北し滅ぶのなら、それもいい。
自分たちがその幕引きを選んだのだから。
だがタウィーザは、自分がそれに巻き込まれ、無意味な敗北や無意味な死を迎えることは避けたかった。
緒戦は、個々の武勇もあって《タハシュの民》側が押した。だがそのために敵の予想外の反撃を誘発した。
聖地の柩を奪われたのだ。
タウィーザを除く《タハシュの民》は激昂し、見境なく戦って柩を奪おうとした。
そのままでは、予想よりも早く一気に敗北することは明らかだった。
だからタウィーザは他部族との連合と、敵の心臓部たる王都を急襲することを提案した。聖地を襲った敵への報復にもなるとして。
――むろんその意見は、いつのまにか“勇敢にして戦術眼を持った”族長の息子たちのものとされ、採用された。
(問題は引き際だ)
聖戦だ、勝利だと盛り上がる周囲を横目に、タウィーザは冷静にその後のことを考えた。
ここで運良く部族の寿命が少し延びるにしろ、潰えるにしろ、自分はこれを期に《タハシュの民》から抜ける。タハシュの呪縛から逃れるのだ。
だが――その先は。
(……どこへ行く?)
タウィーザは自分にそう問いかける。
――自分は何をしたいのか。何を欲しているのか。
タハシュもそれに仕える者どもも滅べばいいとは思うが、積極的に滅ぼしたいわけでもない。
『己のために生き、己で何事かを成せ。神ではなく、己を信ずるのだ』
父はそう言った。だが、その己の声が聞こえない。
信ずるにたる自分の何かを得られていない。
結局、自分もまた閉ざされた世界にとらわれた一人だと思い知らされるようで、反吐が出そうになった。
戦いは、およそタウィーザの予想した通りに進んだ。
急襲が成功し王都を制圧したことで、戦士たちは勝利と血の興奮に酔っていた。
(――やりすぎだ)
タウィーザは心底苦り切った、侮蔑の目で周りの戦士を見た。
王族の首を要求したのは明らかに圧力のかけすぎだった。向こうは反発し、逆に徹底抗戦の決意を固めかねない。ただでさえ数で優る相手だ、徹底抗戦の決意など固めさせてしまえばこちらの勝利は絶望的になる。
結局、敵の突入を許すまで、男たちはそれがわからなかった。
突入されても、はじめ男たちは危機感すら覚えなかった。さほどの数でもなかったため、返り討ちにしてやると息巻いていたほどだ。
だがすぐに敗走した。
そのとき、タウィーザはやや意外に思った。敗走は何らおかしなことではないが、思ったより早い。
《タハシュの民》を中心とした戦士達は個々の武芸は優れている。同数か、こちらが多数ならまず負けない。
敵はよほどの精鋭で固めて打って出たのか。
確かめてから、この場から逃れようと思った。
そうして――ヴィヴィアンと出会った。