目覚めは軽やかだった。
しめきったカーテンの隙間から、陽光が細くさしているのが感じられる。
いままでのすべてが悪い夢だったのではないかと錯覚するほどだ。
ヴィヴィアンは体を起こそうとした。
だが軽やかな体に重いものがまとわりついているのに気づき、顔を上げる。
そして凍りついた。
目を閉じた青年の顔。気を失ったタウィーザの顔が、そこにあった。ヴィヴィアンの下敷きになるような形で倒れている。
ヴィヴィアンにまとわりついているのは、彼の腕だった。
やがてヴィヴィアンは急に昨晩のことを思い出した。
――満月。激しい飢え。濡れた頬の感触。牙が肌の下に埋もれてゆく感覚。かぐわしい肌と血に酔う感覚。タウィーザの荒い呼吸。
充足感に何もかもが押し流された。
この体の軽さは、ずっと抑えつけてきた飢えが癒えたためだと、忌々しいほどに証明している。
青年の首と肩の間に見える、二つの小さな傷痕。
ヴィヴィアンの体は震えだした。
細かく痙攣する手を伸ばし、目を閉じた青年の頬に触れる。
「……タ、ウィーザ」
はじめて呼んだ名はひどく震えていた。
青年は目を開けない。体から血を失っている。どれほど失ったのか。
タウィーザの命の証ともいえるものを啜ったのは自分だった。
どれくらい――どれくらい、奪ってしまったのか。
死という単語がヴィヴィアンの脳裏にこだまする。恐怖で頭が痺れた。
「タウィーザ……起きて」
青年の体を脆く揺さぶる。
「タウィーザ……っ!」
目の奥がひどく痛む。視界が歪む。
悲鳴のように、祈りのように名を呼んだ。
永遠のような静けさが一瞬落ちたあと、青白い瞼が痙攣した。長い睫毛が震えたあと、ゆっくりと目が開く。
つかのまのまどろみにぼやけた目は、やがて焦点を結び始めた。
「……ああ、あんたか」
眠りからさめたばかりの、かすれた声だった。
ヴィヴィアンは、詰めていた息を細く長く。体にさざなみがはしった。
(生きてた……)
大きな安堵が、温かな水のように体に広がっていく。体から力が抜け、動けなくなりそうだった。
「なんだ、泣いているのか聖女様」
かすかな笑い。それからヴィヴィアンの目の下に温かな親指が触れた。
ヴィヴィアンははっとした。指摘されてはじめて自分の頬が濡れていることに気づき、狼狽える。
安堵したとたん、正気が戻ってきた。
タウィーザに抱えられるような恰好で――二人して倒れているのだ。
ヴィヴィアンは少し慌てて、からみつくような青年の腕を剥がし、体を起こした。手の甲で目を拭う。
タウィーザは起き上がろうとしなかった。
「……立てない?」
「まあな。誰かが激しくしたせいで」
妙に含みのある言い方に、ヴィヴィアンは思わず顔が熱くなった。青白い目が、ヴィヴィアンの反応を楽しもうとでもいうように不躾に眺めてくる。
ヴィヴィアンはことさら眉をつりあげた。
それから屈んで、タウィーザの背と膝裏に手を入れた。
「何を……おい! やめろ!」
横抱きにするような形で青年を抱え上げると、珍しくタウィーザは焦りを露わにした。
異形の血によって力を得ているヴィヴィアンからすれば、自分よりも大きな男を、それこそ姫君にするように抱きかかえるということも造作もないことだった。
こうやって抱えてしまえば自分が優位になるので、心にも余裕が戻ってくる。
あれだけ挑発的で冷笑ばかり浮かべていたタウィーザにしては、ずいぶん可愛らしい反応をする。
「下ろせ!」
「立てないのでしょう。私に触られるのはいやだろうけど、寝台まで我慢して」
「余計なことをするな!」
「ここに転がっていられると邪魔なのよ」
ヴィヴィアンはタウィーザを抱えたまますたすたと歩いた。この館には空き室はいくらでもある。暇潰しの一つとして、ヴィヴィアンはアンナと共に日頃から掃除もしていた。
二階の端、自室から離れた客室にタウィーザを運び込み、寝台に下ろした。
タウィーザは端整な顔を歪め、まるで激しい屈辱を受けたとでもいわんばかりだった。
「……覚えてろよ」
横たわったタウィーザが、恨めしげに見上げてくる。
ヴィヴィアンは少し笑いそうになりながら、だがふと表情を翳らせた。
――タウィーザをここまで弱らせたのは自分だ。
彼の命を奪っていたかもしれないのだ。
いまになって、背が震えるほどおそろしくなった。
あれほど忌避していたはずの人の血を、飢えに負けて口にした――。
ヴィヴィアンは口元を覆った。