傭兵となって帰ってきた青年は、幼なじみの少女に告げた。【IF】太陽に至る坂

「……では、書はこちらに」

 わたしが言うと、今度の《太陽の御子》――ユージーンという男は少しためらい、気恥ずかしそうに文を渡した。

《太陽の御子》は、遺書のようなものを残すことになっている。文字の書けないものは神殿の筆記係に口頭で伝え、言い残したことを書き残す。

 わたしは当代の《太陽の御子》を不自然にならぬよう観察した。
《太陽の御子》には年齢も性別も関係なく選ばれるとはいえ、ユージーンはおそらく、六十に手が届くところだろう。
 よく日に焼け、しみが点々と浮かんだ肌は大きな老木を思わせた。自然な朗らかさが漂っていて、おそらく幸福な家庭を築いた男なのだと思われた。

 働き者の農夫であったのか、この神殿に至るまでの長い長い坂――下界では《太陽に至る道》と呼ばれているそうだ――をのぼってきたあとでも、くたびれた様子がない。

 幸福な老人でも、残していかねばならぬ子供や孫を思って、もう少し心残りを見せるかと思ったのだが、ユージーン氏にはそれがないようだ。
 静かで、凪いでいて――それでいてかすかに期待のようなものさえ目に浮かんで見えるのは、気のせいだろうか。

 いくら御子に選ばれることが栄誉と言われていようと、ほとんどの者は目の前に迫った死しか見えず、絶望や諦観、あるいは狂信的熱狂をもって己の恐怖を誤魔化そうとすると記録にはある。
 しかしそれも《太陽の御子》という特異な存在を考えればやむをえないことではあった。

 遙か昔、天然の・・・太陽は消滅した。百賢者の多大なる犠牲と努力によってつくりだされた第二の太陽――今日、われわれの頭上にあるあの太陽は、維持のために贄が必要である。それが《太陽の御子》だ。
 それを実感として受け止められるものがどれくらいいることだろう。《太陽の神殿》に仕えるわたしですらいまいち実感がないのだ。

 当代の御子、ユージーン氏は命乞いするような真似も虚栄を張るような真似もせず、従順に他の神官達についていった。

 わたしの手には彼の遺書が残った。
 職務の一環として、検閲のためユージーン氏の遺書を開く。職務のためではあるが、そこに多少、不純な感情がまじっていたことは否定できない。

 遺書には、幸せな家庭があったであろうことをうかがわせる、妻や子供や孫、友人たちへの感謝の言葉とともに――もう一人の、“太陽の御子”についてのことが書かれていた。

 

 ◆

 

 ――あー、まずはじめに言っておかねえといけねえのは、長年連れ添った女房にはそりゃもう本当に感謝してますし、儂にはもったいないぐらいのいい家庭を築かせてもらったということです。

 これは、それとは別に、心の片隅にずっと引っかかっていたもののことで。一人でも多く、儂のように馬鹿な後悔をする者が減ればいいと思って、話します。

 儂には、エミリーという幼なじみがいました。これがまあ、とにかく抜けてて鈍くさくてお人好しで、お気楽な奴でして。
 何もないところで転ぶような奴なもんだから、儂はもう見てられなくて何かと世話を焼いてやっていたのです。エミリーのほうも、ユージーン、ユージーンと儂の後をついてきましてな。ほとんど同い年であったのに、兄妹みたいな関係でしたわ。

 十を過ぎてから、儂は故郷を飛び出しました。あの頃にありがちな、とにかくぎらぎらして無鉄砲なものに突き動かされましてなあ。
 他に特技もないわけで、気づいたら傭兵なんてものになってたんですわ。運の良さだけでなんとか生き延びたわけですが、危なくなったときに決まって思い出すのは、故郷のことでした。

 もっと言ってしまえば故郷の、それもエミリーのことだったんですな。一旗あげるまでは故郷に帰るまいなんて思ってたんですが、エミリーのことが気になって気になって、ついぞ儂は故郷の村に帰りました。

 エミリーは成長していたし、久しぶりに会って驚かれて、儂もはじめは得意になりましたわ。
 外見は変わってもエミリーは相変わらずで。にこにこ笑いながら、儂の誇張した武勇伝を嬉しそうに聞くんですわ。

 エミリーの両親は老いてましたが、これがまた昔から儂によくしてくれてて。
 ええ、本当に一瞬の幸せでした。

 エミリーが《太陽の御子》に選ばれたのはそれからすぐ後のことでした。

 儂はもう、頭の中が真っ白になりました。エミリーの両親もそりゃもう泣いて。
 それでもみんな、割り切れなくともなんとか割り切ってエミリーを送り出すわけです。

 儂はなにをしたかというと、エミリーを《太陽に至る道》まで送り届ける役なんてものを買って出たんですわ。
 覚悟があったんじゃない、ただ、時間稼ぎです。エミリーと少しでも一緒にいられる、ただそれだけだけしか考えられませんでした。

 エミリーというのが本当に呑気な女で、ユージーンが送ってくれるなら嬉しいなどと言って、道中泣き言の一つも言わなかったんですな。
 儂はそれで、余計に現実から目を背けていたのかもしれません。

 しかしどんなにのろのろ進んでも、何度も立ち止まっても、やはり着いてしまうわけです。この神殿に至るための長い坂ですな。

 坂の下で、儂とエミリーは最後の会話をしました。大層なもんじゃなく、だらだらと天気のこととか村のこととかを話しました。ほとんどはエミリーが喋っていました。

 それでも、時間は止まったりはしないもんで。
 やがてエミリーは立ち上がって、一人坂に向かおうとしました。
 儂は、待てと言いました。エミリーは振り向きました。

 なのに儂は言葉に詰まって、まだうじうじしてたんですな。
 言うにこと欠いて、ようやく出て来たのが、“お前に会うために村に帰ってきた”みたいなことだけで。

 エミリーは笑って、“うん。会えたね、よかったね”と言ってくれました。
 ――会えたから、もういいだろうと。エミリーは別れを告げたんですな。自分のほうがよほど辛かったろうに。

 儂は、一人坂をのぼっていくエミリーの後ろ姿を見ていられませんでした。
 目を背けて耳を閉じて、次に目を開けたらまたエミリーの呑気な顔がそこにあるんじゃないかという気がしたんです。

 その後、どうやって村に戻ったかは覚えとりません。
 エミリーが帰ってくることはなかった。
 その後、エミリーの両親のもとに、儀式は滞りなく行われた、あなたの娘はよくやったという、使者がやってきただけです。

 儂はまた村を飛び出しました。そのときはじめて――ようやく、涙が出てきましてなあ。泣いて泣いて、大声をあげてひたすら走って……。

 なんであのときエミリーの手を離してしまったのだろう、と。

 やがていまの女房と会って人並みの生活をするようになりましたが、それでもあのときの後悔が和らぎこそすれ、消えはしませんでした。
 はは、惨めな初恋は長引くってことでしょうかなあ。

 ――だから、いまになってこの儂が御子に選ばれたというのは、なんだか運命みたいなものを感じるんです。
 もしかしたら、エミリーが呼んでいるんじゃないかと。
 
 あの太陽の中に、エミリーがいるんでしょう? それなら、儂が太陽の中に行くとき、燃え尽きた前の御子が次の御子に代わるとき、一瞬でも――会えるんじゃないでしょうか。

 儂は、今度こそエミリーと向き合おうと思うんです。
 そして言えなかった言葉を言おうと。

 ――ユージーンとしての儂ではなく、太陽の御子になってからのことなら、女房もきっと許してくれるでしょうから。

 

 ◆

 

 当代の《太陽の御子》ユージーンはつつがなく儀式を終え、人としての生を終えた。
 その最後の顔は、類をみないほど安らかなものであった――と、とある神官が書き残している。

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