追放された元テイマー、最強に育てた義妹が敗れたので真の力を解放する。11

 低く、だが強い力を帯びた呼び声が響いたとたん、背後の揺らめきがひときわ大きくなり、空が破れた。
 巨大な亀裂から獣の咆哮が響き、空気を伝い、地に立つものをびりびりと揺らす。ロレットとその背後の魔法士たちが悲鳴をあげる。

 そして空から、すさまじく大きな影が飛び出した。
 鈍色の鱗に全身を覆われながら、山のように隆起する筋肉がはっきりと浮かび上がっている。かぎ爪の生えた四肢に棘の生えた尾。背から生える、鋭利な二対の翼。
 上下に噛み合う牙の生えた細長い顎。
 暗い紫色の目に、針のような瞳孔。

 その前肢の一薙ぎでたやすく獲物を屠れるであろう巨大な生物は、四枚の翼で滞空しながら、一人の男の背後にゆっくりと舞い降りた。
 大きく目を見開いたまま、カルメルだけが半ば呆然とつぶやいた。

「竜種……まさか……!」

 それは、古い御伽噺にしか存在しえない種族だった。異形ばかりの迷宮生物にすら一定の系統が存在するが、竜種はそれにもあてはまらない。

 魔法士たちも、遠巻きに見ていた屋台の人間すらも悲鳴をあげて逃げ出す。リュフェスとカルメルを拘束していたものが解けた。

 ロレットだけは、目を見開いて後じさりながらも激しくかぶりを振っていた。

「うそ、うそ、うそ……何なのよこれ!! ありえない!! こんなの……、能無しが、ああ、こざかしい幻術だわ!!」

 半ば悲鳴のように叫んだあと、腰の後ろにさしていた杖を素早く抜いた。見るからに法外な値段がつくであろう、古い大木から切り出したとわかる魔術具。
 濃緑の髪が不自然な風に揺れ、その輪郭が陽炎に包まれたように揺らぐ。

「全部、燃えろ! ――《炎雨フラム》!!」

 リュフェスと紫眼の竜の頭上で突然、空が揺れた。
 顔を上げたのはカルメルのほうだった。
 その次の瞬間、黒い煙の尾を引いた赤の光が無数の矢となって降り注いだ。

 カルメルの目に、迫りくる火炎の雨が見えた。
 ――間に合わない。この範囲と速さでは。

 そして火の雨がすべてを飲み込んだ。
 大量の蒸気が周囲を覆い隠す。

「ロレット総括長! なんの騒ぎですか……!!」

 足音と共に背後からそう声をかけられ、ロレットは疎ましさを隠そうともせず振り向く。
 武具に身を包んだ王都騎士や魔術師たちだった。

「《炎雨》を使われたのですか!? この地域で第三階位魔術の使用許可は出ておりませ……」
「うるさいわね! あんたたちが遅いうえに何もしないから――」

 ロレットは苛立ちと怒りをそのままぶつけながら言い、目は《炎雨》の跡から離さなかった。
 蒸気が晴れてゆき、うっすらと影が見える。高温の火に焼かれたものの骸。

 だが女魔術師は目を見開いた。
 影が大きい。あまりに大きすぎる。
 まるで竜の影のようだ・・・・・・・・・・

「焼き尽くした……焼き尽くしたのに!」

 ありえない、とロレットは叫ぶ。
 だが蒸気が晴れて立ち現れたものがロレットと、そして駆け付けたばかりの戦士たちの悲鳴を飲み込んだ。

 鈍色の竜が、眠る蝙蝠のように巨大な翼で何かを包み込むようにしていた。
 高位の火炎魔術がすべて直撃してなお、その鱗には焼け跡一つない。

 二対の翼がゆっくりと開かれると、泰然と立ち尽くす一人の男と、呆然とする女が現れた。
 リュフェスの目はひどく冷たい色をしてロレットを見ていた。

「何よ……何なのよその目は!!」

 いかなる緊張も怯えもない目。無価値なもの、一切の脅威も認めていない目。
 ロレットという魔術師の力をまったく認めていない目だった。

「役立たずが! 能無しの《獣使い》ごときが……っ!!」

 激昂してロレットは叫ぶ。
 だがリュフェスの意識から、かつては仲間であった女魔術師のことは消えていた。
 踵を返し、ロレットに背を向ける。そして目の前に迷宮の入り口があった。暗く底知れず、かつては友と、そしてパーティの足手まといとして挑んだ闇。
 その闇に、ジャンヌを助けるものがある。

「往くぞ、ヴルム」

 頭上で紫眼の竜が咆哮した。
 リュフェスは踏み出す。

 竜の巨大な顎に火の赤が煌めいたとたん、竜は女魔術師とその背後の人間に向かい烈火を吐いた。
 戦士たちとロレットの悲鳴が燃焼音にまじり、場は狂乱の場と化した。

 竜の火を寸前で避けたロレットと男たちは、だが激しい火の壁に遮られて、迷宮の中へ消えていく男を追うことはできない。恐怖と戦慄の眼差しを向けるだけだった。
 誰かが震える声でつぶやいた。

「あんな……あんなもの、《獣使い》じゃない……!」

 鈍色の竜の巨体は優雅な動きで旋回する。まるで主に付き従う忠実な騎士のように、迷宮の闇に消えていく。

 ただ一人、火の壁の内側に取り残されたカルメルもまた、リュフェスとその竜を見ていた。
 信じられないものを目の前にして痺れた体に、ようやく声が戻ってくる。
 ――《獣使い》。否。もはやそんなものではない。 

「リュフェス君……あなたのそれは、もう《獣使い》なんかじゃない。――《召喚》よ」

 飼い馴らすではなく、意のままに呼び出す。ゆえにいまはもう絶滅したはずの生物、想像上にしか存在しないはずの幻獣さえも従える。
 どれだけの膨大な力を、精神力を必要とするのか。
 カルメルは身震いした。
 
 神話の時代にのみ存在したはずの力がいま、リュフェスという一人の男によって復活させられていた。

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