追放された元テイマー、最強に育てた義妹が敗れたので真の力を解放する。10

 高らかな――刺すような悪意の言葉が、リュフェスのこめかみを殴りつけた。

 ぐらりと一瞬揺らいだ視界の向こうに、小さなジャンヌの姿が見えた。
 ジャックを探して泣き、やがて剣を握るようになった小さな少女。
 ――あのジャックの妹なのだから、その名に恥じないようにと強がるようになった。
 そして。

『初挑戦でクリーズを踏破できれば名があがる、財も手に入る……そうすれば、リューに少しでも恩返しできる。リュフェスに育てられたと、胸を張れるって……』
 
「あはは! 所詮は小娘だもの! 新人がいざ戦闘になってビビって逃げる、よくありふれた話じゃない? 腰抜けの臆病者は別にあの娘一人じゃないわ! でもねえ、もしかしてあんたがあの娘を育てでもした? それなら、余計に納得――」

 悪意のみならず加虐の喜びすら滲ませた女の声が、唐突に途切れる。
 後頭部から叩きつけられて小さく悲鳴をあげたロレットを、リュフェスは冷たく見据えた。
 ――腹が焼けそうなほどの激しい怒りは、かえって全身を凍てつかせるのだと知った。

 リュフェスの腕に首を押さえつけられて壁に縫い止められているという状況を、ロレットはようやく理解したようだった。整った顔立ちを醜く歪める。だが喉を押さえつけられているせいで声が出ないようだった。

「リュフェス君……っ!!」

 カルメルがリュフェスにすがりつく。

「だめよ! ジャンヌちゃんのためにも……!!」

 ほとんど懇願するようにカルメルは叫んだ。
 その言葉を、リュフェスはすべて受け入れたわけではない。だが確かに、こんなことをしている場合ではない・・・・・・・・・・・・・・・・と、凍えた頭で思った。

 こんな女のことは、どうでもいい。

 腕を退けると、ロレットは滑稽なほど咳き込んでみせた。憎悪すら滲ませてリュフェスを睨み、罵詈雑言を吐いたが、リュフェスはもはや意識からロレットの存在を締め出した。
 カルメルの声さえ無視して、部屋を出た。
 やるべきことは一つしかなかった。

 

「リュフェス君、待ちなさい! まさか一人で潜るつもり……!?」

 クリーズ迷宮の入り口を目前にリュフェスの背に、カルメルの悲鳴が追いすがった。
 ――クリーズ迷宮は、見た目には古い坑道の入り口そのものだった。
 入り口の前には立て看板がかけられ、その周りに立ち入りを制限する縄などがかかっている。少し離れたところには探索者用の屋台や武器職人が整備のために出張して敷物を広げて連なっていた。

「焦る気持ちはわかるけど、落ち着いて! ジャンヌちゃんを助けるためにも、最低あと二人は集めて来ないと……!!」
「そんなに待てない」

 ――ジャンヌはいまも苦しみ、命の危険にさらされている。
 リュフェス君、とそれでも食い下がろうとするカルメルに、リュフェスは振り向かず、左の籠手に触れた。

「……それに一人じゃない」

 ほとんど独白のように言うと、だがカルメルはそれを聞き逃さなかった。

「……リュフェス君が《獣使い》であったことは知ってるわ。でも、それならなおさら必要よ。リュフェス君が馴らす間、注意を引き付け、リュフェス君自身を守ってくれる護衛と囮の役が要る。そうでしょう」

 低い声でカルメルは言った。
 リュフェスは反論しなかった。カルメルの言葉はまったく正論だった。

 ――《獣使い》に対する価値観。誰もが同じように考え、ゆえにパーティにおいて《獣使い》の需要は抜群に低かった。
 一人では何もできない臆病者。ほとんどの探索者がそう思っている。あるいは探索者以外の人間すらも。

「逃げられないわよ能無し……!!」

 甲高い叫び声が飛ぶ。
 リュフェスはゆっくりと振り向く。

 屋台や敷物を広げて広げていた商売人たちが後じさりし、あるいは急いで敷物をたたんで慌てて逃げ出す。
 あけられた道を、副官と思しき男たちを連れて暴君のごとくに進んでくる女がいる。

 ロレットは両眼に敵意と怒りをたぎらせ、赤く嗤う唇に悪意を滲ませた。

「自殺覚悟でクリーズに逃げこむ? 本当に馬鹿、どうしようもない臆病者ねえ!」

 カルメルが、リュフェスとロレットの間に割って入った。

「やめなさい、ロレット統括長。リュフェス君の行動にはわけが……」

 厳しくも諭すようなカルメルの声に、ロレットはふいに眉をつりあげた。

「うるさいババア! 老害が出しゃばるな! それとも何、まさかそこの能無しはあんたのペットなわけ?」

 隠そうともしない敵意と悪口雑言にカルメルが一瞬絶句する。

「邪魔するならお前も一緒だ!!」

 ロレットの声がつんざくと同時に、その後ろに付き従っていた魔法士たちが動いた。
 カルメルがはっとしたように身構える。
 リュフェスは抵抗の素振りすらしなかった。
 魔法士たちから飛んだ光は、蛇のようにうねり、リュフェスとカルメルの手足に絡みつく。とたん、二人の手足は巨岩に挟まったように動かなくなった。

「く、……離しなさい!」

 カルメルがもがき、ロレットを睨む。
 だがロレットは嗤って、口汚く罵った。

「連れていけ!」

 背後の魔法士たちに再び命ずると、リュフェスとカルメルが見えない力に引きずられる。
 ――迷宮の入り口から引き離される。

 リュフェスはすっと目を細め、ロレットを睨んだ。

「……邪魔すんな」

 低く、腹に響くような声だった。
 はっとしたようにカルメルが顔だけをリュフェスに向け、ロレットもまた、小さく目を見開く。

「は、臆病者が何言ってる! どこにも逃げられやしな――」

 挑発と加虐に満ちて緑髪の女魔術師が罵ろうとする。しかし最後まで続かなかった。

 その目が、リュフェスの腕に――その左腕の、光始めた銀の小手に釘付けになる。

 発光する銀の小手の表面に、複雑な紋様がひときわ輝く。 

「逃げる? 誰のことを言ってる」

 カルメルが息をのむ。

「その紋様……まさか、古い誓約文字……!?」

 リュフェスの背後で、風景が歪んでいた。そこだけ水面を乱したかのように空気が揺らいでいる。
 ロレットもその背後の魔法士すらひるむ様子を見せた。
 魔術を行使するときの力場とも蜃気楼とも違う。胎動し蠢き、まるで何かが向こうから突き破ろうとしているかのように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・見える。

 リュフェスの耳にだけは、咆哮が聞こえていた。こちらに応え、現れ出でようとしている獣の声。
 そして、その姿が。
 十年前から聞こえ、見えていたもの。けれど呼んでやれなかったものの存在。

『お前は天才だ』

 かつての友の声が耳の奥に響き、リュフェスの口角は吊り上がる。

 ああ。

 その思いとともに、リュフェスは名を呼んだ。

 

「――来い、紫竜《ヴルム》!」

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