ある令嬢と騎士の、悲しい恋の果て2

 ただ何人かが、年頃の娘に特有の繊細さとか、緊張とか、慎みといったもののせいではないかと言っていました。当時の私は、そんなものなのかしらと思っていました。
 熱を出したり寝込んだりはしましたが、それ以外の体調不良はなかったからです。

 彼は、とても心配してくれました。
 相変わらず口下手だったけれど、花束を持ってお見舞いに来てくれたり、メッセージカードをくれたりしたのです。声にするのは苦手らしいのに、文章にするのはそうでもないらしい、と知ったのはこのときでした。

『君を守る騎士になる』

 そんなちょっと気障な言葉も、カードには書けてしまうようで。
 からかおうと思ったのに、どきどきして足元がふわふわして、逆にからかわれてしまったり。

 そんなふうに、私と彼は穏やかな、けれど確かな関係を築いていました。
 政略結婚でありながら、私と彼は珍しいほど良好な――おそらくは、恋と呼べるものが芽生えていたのだと思います。

 でもそれが結婚という実になる前に、後に彼の妻となるあの女性が現れました。
 美しい侯爵令嬢。私とは比べ物にならない本物の貴族の、本物の美しい令嬢。しかもかの侯爵家は祖を遡ると、王の信頼篤き審問官であるそうです。

 超常の力を操る魔法使いを祖に持つ私の家と、悪しき超常の力を厳しく裁く審問官を祖に持つ家。
 こう考えてみると、まるで私は当て馬――かの美しい令嬢のための完璧な引き立て役のようでした。

 あのご令嬢と彼は、並び立つと一幅の絵画のような美しさでした。神様が、はじめから対になるものとして設計したもののようでした。
 かのご令嬢こそ本物の姫君。騎士に仕えられるべき本物の姫君のようでした。
 少なくとも、あのご令嬢が彼をはじめから好ましく思っていることは私にもわかりました。

 彼は、はじめは困惑していたようです。家柄はあちらも上で、むげにすることもできなかったのですから。
 でも彼は真面目な性格で、既に私という婚約者がいる以上、ご令嬢とは当り障りのない関係を維持しようとしていました。
 ――ふふ。不器用な彼が、そんな器用なことができるはずもなかったのですが。

 やがて、彼は少しずつ私から遠ざかっていきました。
 彼の代わりに届けられるようになった花束、お菓子、ハンカチ――短い伝言の綴られたカード。

『すまない、今日は行けない。この穴埋めは必ずする』
『急ですまない。次の演目には必ず』
『しばらく会えないかもしれない。予定があいたら連絡する』

 会えない時間が、日々が積み重なって。
 届けられる花は山のようになって、カードは本のように積もって。

『会えないときも君のことをよく思い出す。君も同じ気持ちでいてくれているだろうか』
『わずらわしいことばかりで、君のことを考えている時間だけが心安らぐ』
『君に会いたい――』

 山のような花を抱きしめて、カードの山に身を伏せて。

 ――私も、あなたに会いたい。

 そんな言葉を書き綴って、彼に何度も返しました。

 また熱が出て伏せるようになったとき、恋の熱だと憐み半分で周囲に言われたものです。
 心が弱っていたせいもあったのか、そのときは長く寝込んでしまいました。

 いまでも、私はこのときのことを後悔しているのですが――私が長く寝込んでいたこのとき、彼が一度だけお見舞いに来てくれたそうです。
 夢うつつに、彼が何かをつぶやいていたような気がするのです。あるいは自分の願望が見せる夢でしかなかったのかもしれないけれど。

 婚約破棄を突きつけられたのは、その後私が回復して、久々に夜会に出たそのときでした。

 彼は見たこともないほど冷たい目をして、傍らには侯爵家の美しいご令嬢が立っていました。

 あまりの衝撃と、絶望で――どうして、と私は泣き叫んで取り乱しました。
 私だけの《碧玉の騎士》だと、言ってくれたのに。
 でも彼はもう振り向いてくれることはなく、私は半ば強引にあの場から引きずりだされて、家に戻されて。

 それが最後。彼と会った、最後の日になりました。

 両親になだめすかされて、ほとんど家に閉じ込められるような日々を過ごしました。
 食も喉を通らず、積もったカードの山を何度も読み返しました。カードがよれ、字は涙で滲むほど。
 新しいカードはもうぴたりと送られてこなくなったのです。

 何度も、何度も何度も考えました。
 どうして彼はあんなことを言ったのだろう。いいえ、家と家の結婚という意味では、私より侯爵家のご令嬢と結婚したほうがいいというのはわかります。
 でも、それでも。

 ――あんな突き放し方をしたのは、私をもう嫌いになったから?
 そう考えたとたん、おそろしくて体が震え、吐き気を催すほどでした。
 何がいけなかったのか。どうすればまた彼に好きになってもらえるだろう。そんなことばかり考えていました。

 そうしてようやく、あまりに遅すぎるこのときに、私は真実を知りました。
 ――彼が約束を急に反故にするようになったのは、かのご令嬢と会っていたから。
 ――破られていく私との約束の数だけ、かのご令嬢との絆が深められていたのだと。

 贈られた花がやがて枯れて朽ちるように、私と彼の関係は、時間とともに変質していた。
 私一人が、それに気づけなかったのだと。

 恋も愛も永遠ではない。
 だから諦めなさい――。

 両親は辛抱強くそう言い聞かせて、私を慰めようとしてくれました。
 でも私はそれを受け入れられず、おそれ多いことに、かのご令嬢を呪うような言葉を口にしました。彼を奪ったのはあの人、私から彼を盗んでいったと。

 それが、どうやら彼の耳に入って、強い怒りを買ってしまったようです。
 彼の強い要望――もしくは圧力によって、私は修道院に預けられることになりました。

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