(う……)
何か、抗えぬ力に握られてしまったようだった。鼓動が速まる。
だがイサーラはそれにまけじと口の端を急降下させる。
内側で収縮した何かをむりやり解く。
(……こういう、男だ、ジュリオは!!)
自分に厳しくそう言い聞かせた。
――そう、ジュリオはこういうことを平然と言える男だったではないか。それで勘違いした結果どうなったというのだ。
聖女アナヴィスのように賢明な女は、二度も同じ過ちを起こさない。
同じ相手に、一度は破れた相手にまた心をときめかせるなどという阿呆なことがあってはならないのだ。
――はっきりと特別な好意を口に出すのではなく、遠回しに誤解させるような言い方をするのが、この男のずるいところだ。
イサーラはじわりと怒りを感じた。
意図してのことだったら殴ってやりたいが、たぶん無意識のことだろう。さすがにそこまで狡猾な男ではない。
だから、息を吸って吐いて、落ち着きを呼び戻す。
「……あのね、ジュリオ。そういう言い方、場合によっては誤解を招くからやめたほうがいい。私が相手だから、いいようなものの……」
「誤解?」
灰色の瞳が軽く見開かれる。
ああやはり悪気はないのだとわかり、イサーラは安堵とうっすらとした苛立ちとを同時に覚えた。閉じた扇子で、溜息をつく唇を隠す。
――だいたい、いまはもう研究で手一杯だ。他のことに心を煩っている暇などない。
「資金援助の申し出は嬉しいけど、友達とはそういう関係にはならないって決めてるから。友達は友達、それだけの関係でいたいの」
え、と短く言ってジュリオが大きく目を瞠る。断られるなど、思いもしなかったのかもしれない。
「サラ……」
「――今日は、帰るわ」
どうしても、重大かつ緊急な用がある場合には研究所に面会に来て、と早口に言って、サラは身を翻した。
ジュリオの呼ぶ声が少し聞こえたが、広間を出てまで追ってくることはなかった。
(……ああもう!)
調子も狂って、資金調達の計画も狂ってしまった。
『サラがいい、サラしかいないんじゃないか』
忌々しいほど親しげで自然な、口説き文句ともいえぬその言葉が耳奥に反響していた。
◆
ジュリオは呆然としていた。
幼なじみは、一曲も踊らずにこの場を去ってしまった。いや、彼女はいつも夜会には渋々出ているという噂だったので、これが普通なのだろうか。
それにしても――。
(……せっかく、来たのに)
せっかく自分が会いに来たというのに、まともに構ってくれないというのはどういうことだろう。
せっかく――いつもとは違う、着飾った彼女を見られたというのに。
一曲ぐらい付き合ってもらおうと思っていたのに。
それに、誤解を招くとはどういう意味だ。他人行儀な言葉が妙に引っかかる。
少し考えて、ようやくそれらしき答えが浮かび上がってくる。
これまで付き合い、あるいは付き合うに至らなかった女性達の姿であり声――。
『何よ! 思わせぶりなことばかり言って……!』
『だったらどうして、私に優しくしたの?』
『――女なら誰にでもそんなことを言うわけね!』
彼女たちはなぜか勝手に怒り、嫉妬し、不満をぶつけてきた。少し他の女性と話すだけでもいやな顔をし、何気ない言葉をあらぬ方向に解釈する。
ジュリオにとってはただの挨拶、単なる言葉でしかないものを誤解される。
――それはたいそう面倒くさいことだ。
イサーラはきっと、それを冷静に指摘してくれたのだろう。
だがジュリオはなんとなく面白くなかった。あくまで落ち着いた態度のイサーラはやはり他の女性たちとは違うし、それに感謝すべきなのかもしれないが……。
(別に、よかったのに)
イサーラなら。
イサーラになら、誤解されたって構わない。
いや、むしろ――。
ジュリオはそんな考えを抱いた自分に気づき、驚く。
そして更に驚くべきことがあった。
友達。
イサーラの、友達からは資金援助は受けないという言葉。
その、友達という言葉にひどく距離を感じた。
それがひどく不服だと――そう感じている自分に、気づいた。
(……ああ、そうか)
付き合いの長い、親しい友人。幼なじみ。
けれどもう、それだけではいられないのだ。
そんなものでは足りない。