転生令嬢、幼馴染みの貴族から結婚を迫られる。14

 自分をサラなどという愛称で呼ぶ男は一人しかいない。
 イサーラは信じられない思いで振り向く。そしてぎょっと目を剥いた。

 案の定、そこには幼なじみのあの男がいた。

 しかし一瞬目を疑ったのは、ジュリオの正装をほとんどはじめて見たからだった。
 隙なく撫でつけられた髪。前髪をあげたことで形の良い眉が露わになっていつもよりずっと凜々しく見え、灰色の目は照明の加減か銀のように輝いている。
 肩幅の広い、長身をよく引き立たせる黒の燕尾服。カフスや胸ポケットのハンカチの白さが眩しい。

 イサーラは気圧された。
 不覚にも、ほんの束の間見とれてしまった。

(な、なるほど、これでは淑女たちが騒ぐのもわかる……)

 動揺した自分を突き放すように、そんな他人事めいた感想を思い浮かべる。
 が、元凶たる男はなぜか笑顔を浮かべたまま、周囲の視線を気にした様子もなくすたすたとイサーラに近寄ってくる。
 イサーラは怯んだ。
 逃げ道を探し、はっとして薄毛の紳士に目を戻すも、既にそこにいなかった。
 ジュリオの登場で、名も聞かぬうちに逃げられてしまったらしかった。
 イサーラの計画をはじまる前から潰した当本人は、近くに来て立ち止まった。

久しぶり・・・・?」

 ジュリオはからかうように笑った。
 イサーラは恥ずかしさと怒りと驚きと色んなもので、一瞬どんな言葉を返せばいいかわからなかった。――しかもこの、自分の不格好な夜会服でこの男に会うのははじめてだ。
 屈辱だった。いい笑いものだ。頬が少し熱い。
 眉をつり上げて幼なじみを睨む。

「……なんでここに!」
「いや、偶然……。うそうそ、こうでもしないと会ってくれないだろ」

 イサーラは絶句した。
 ――まさか。自分に会うためにこんなところにまで来たというのか。
 あまりのことに呆気にとられ、それからようやく文句を言ってやろうと口を開きかけ――止まった。
 周囲からの視線。
 会話が聞かれている。
 事情を知らぬ者が聞いたら、痴話げんかなどと思われてしまうような会話かもしれない。

「……ちょ、ちょっとこっち!」

 イサーラは慌てて壁のほうにジュリオを引っ張っていった。――その行動が逆効果ではないかと気づいたのは手遅れになってからだった。
 ジュリオは大きな体を引っ張られながらも、壁を背にしてイサーラの隣に立った。
 イサーラは声を落として言った。

「あのねえ……! 何か話があるにしても、こんなところまで来なくとも……!」
「ここ以外で会ってくれた? 邸とか小屋で」
「……」

 イサーラは黙るしかなかった。
 確かに、こうでもしなければ自分は会わなかっただろう。
 ――それでも別に一生会わないとか生涯の決別とかそういうつもりではなかったし、要するにジュリオがいつものジュリオに戻ってくれればよかったわけで、結婚などいう話題さえ出なければ、きっとまたこれまでと同じような関係に戻れた……はずだ。

「……考えたんだけどさ」

 いやみを言うつもりはないのか、ジュリオはそう切り出した。

「ポーションって、金食い虫だろ。材料とか。道具とかも、将来的にいいものを買い直すとなればまたかかるだろ」

 イサーラはまだ黙る。これもジュリオの言う通りである。
 だがこの突拍子もない幼なじみが何を言い出そうとしているのかがわからない。

「俺なら、そういった金銭面で自由にさせてあげられるよ。ポーションより画期的……かはわからないけど、少なくともポーションを作るものを調達できるという意味では、俺のほうが重要だと思う」

 誇らしげな口調。
 イサーラは、あ然とした。
 いったいどんな論理だ。
 いや、それよりも――その理屈はイサーラがまさに誘惑として退けたものであった。

「ちょ、ちょっと……しっかりしてよジュリオ! それじゃ、自分から金蔓になるって言ってるようなものでしょ! だめだから、もっと自分の財産は大事に……」

 イサーラは思わず反発したが、かえってきたのはジュリオの笑い声だった。

「俺を金蔓として見るなら、そんな言葉は要らないよ、サラ」
「! だから、私はそういうつもりは……っ!」
「でもいいじゃないか。俺がいいって言ってるんだから。サラが自由に研究できるぐらいの資金援助はできる、ってこと。それに俺、よくわからないことには口出さない主義なんだ。寛大な男だろ? サラはそれを利用すればいい。さっきの薄毛の人より俺のほうが断然いいと思うよ」

 さらりと言われ、だがサラは顔が熱くなった。――見られていたのか。
 悔しいことに、反論の言葉が出てこない。
 ジュリオは本気で、こんな申し出をしているのか。
 研究のための資金援助ができる、自由にしていい、利用していい――だから、結婚しろと。
 だがそれは、あまりにイサーラにとって都合がよすぎる。
 これではまるで――まるで、ジュリオが本当に白馬の騎士のようではないか。

(違う……!)

 イサーラは頭を振る。

「どうして、そこまで……」

 なぜそこまで言ってくれるのか。なぜ、そこまで自分を選ぼうとするのか。
 遠い日の、初恋に泣いたかすかな記憶が浮かぶ。
 好意は持っている、けれどただの友人……。
 勘違いしてはいけないはずだ。ジュリオは、そういう性格の男なのだから。
 幼なじみ兼初恋の相手兼求婚者は、イサーラの悩みも知らぬ様子で、漫然と人々を眺めている。

「どうしてかな。考えれば考えるほど、サラがいい、サラしかいないんじゃないか……そう思えてきてさ」
「!」

 ぎゅっ、とイサーラの胸の内が一瞬収縮した。

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