転生令嬢、幼馴染みの貴族から結婚を迫られる。10

 イサーラはどきりとした。
 最終目的――ポーションの完成。販売。
 そのための資金。資産。ジュリオの――実家の持つ巨万の富。

(……ジュリオと結婚したら)

 資金問題は一挙に片付く。ポーションの販売に関する問題は解消される。
 やりたいことが、夢が、近づく。
 ――でも子供が。妻に。母に。
 イサーラは慌ててジュリオから目を逸らした。

(馬鹿!)

 それは、金ほしさに幼なじみの求婚を受けようと考えた自分への罵倒だった。
 自制が働いたのは道徳心からではなく、ジュリオの子供を望まれるかもしれない、ということへのおそれからだ。それもまたどうしようもなく自己中心的で身勝手だ。
 自分の力で生きて、死んだあのニホンジンの自分も、きっと怒る。
 なんとか息を整え、口を開いた。

「……ポーションを完成させて、なんとかして廉価で売るようにすることよ。そのためにはまず安定して量産できるようにする、というのが当面の目標。そこから先は一つずつ課題をこなしていくつもり」

 どこか言い訳がましい響きを帯びたイサーラの言葉に、幼なじみの求婚者はふうん、と気のない返事をした。

「それって……時間かかりそう」
「……すぐに達成できるとは思ってない。焦っても仕方ないでしょ」

 ジュリオはなぜかしかめ面をして、俺が焦るんだけどなあ、と言った。

 

 ◆

 

 再びイサーラの“研究所”を追い出され、ジュリオはうーん、とうめきながら歩いた。

(隙がない……)

 イサーラの、あのポーションだか聖女だかへの入れ込みようは想像以上のものがあった。これまで考えたこともなかったが、あの研究所にはそれほどの思い入れが詰まっているようだ。
 一歩|研究所(あそこ)に足を踏み入れれば自分は完全に邪魔者扱いだし、下手をすると自分の存在は完全に忘れ去られてしまう。
 イサーラの熱い視線を浴び、その意識が集中するのは奇怪な形の管やら秤やら容器やらである。

 ――なんとなく、それが腹立たしい。

 ジュリオはいささか自信を喪失していた。
 あまり認めたくはないが、どうやらイサーラの初恋は完全に過去になり、自分もまた完全な友達――ポーション以下の――になったらしい。
 否、友達であることはいい。それに関しては別に不満があるわけではない。

 しかし、自分でもちょっとどうかと思うが、イサーラの初恋の相手であるということにやや優越感があったのも事実である。
 その関係後の友人というのもあって、イサーラに対しては他より親しいと思っているところがあった。
 それがいまやポーション一個分以下である。

(……なんなんだ、あれ)

 聖女アナヴィスについて少し調べたとき、どうやらあのポーションなるものはアナヴィスが発明したものなのだというのがわかった。
 まったく厄介なものを発明してくれたものだ、とジュリオは思った。
 自分が小瓶以下と言われたのもあってポーションにはなんとなく腹を立てていて、ろくに調べもしなかったがこうなってはそうも言っていられない。
 ジュリオはなかば意地になりつつあった。

(――別に、サラといまさら恋愛どうこうっていうんじゃないが……)

 そう考え、首をひねる。
 本気で女性を好きになったことは何度かある。
 だが何の因果か、本気の相手ほど結ばれたことはなかった。
 これまで付き合ってきたのは一方的に言い寄られて押し切られるか、まあ嫌いではないぐらいの相手ばかりだった。
 イサーラに対して抱く感情は、付き合ってきた相手に対するものとも違うし、本気で女性を好きになったときのものとも違う――と思う。
 ジュリオ自身にはよくわからないが、自分には容姿や資産とは別に、女性を誤解させてしまうようなところがあるようだった。
 ――かつてイサーラもその一人だった。
 しかし思えば、気持ちに答えられないと伝えたあとでこのように良好な友人関係を築けているのはイサーラぐらいだった。
 他の女性はみな怒り狂うか、悲しまれたり恨まれたりして、絶縁されたり疎遠になったり不当に悪い噂を流されたりと散々だった。
 ――イサーラは初恋など完全に過去のものにして、ジュリオを完全に“ただの友達”にしたからこそ、このような関係でいてくれるのかもしれない。

『結婚って大事なものでしょ。ジュリオには資産もあるんだから、しっかりした人をもらえばいい。ジュリオを好きで、美人で、家財の管理にも長けた女性が他にいるわ。変に妥協しないほうがいい』

 あれは強がりには聞こえなかった。本当にそう思っていて、それゆえに突き放すような響きを持っていた。

(別に……妥協ってわけじゃ)

 イサーラだってそんなに悪くない、と思う。
 ジュリオは少し寂しいような、反発したくなるような複雑な気持ちになった。

(……何なんだこれは)

 かつて感じたことのない、もやもやとした気持ちになる。
 すべては、あのポーション一個分――自分がイサーラにとってあれ以下だと思い知らされてからだ。
 イサーラの心を奪っているのが、あの毒々しい液体たちだと知ってからだ。
 あんなものに出会っていなければ、イサーラはたぶん、自分の求婚を受けてくれていたのではないか。
 そんな気がしてならなかった。

(だんだん、腹が立ってきた)

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