転生令嬢、幼馴染みの貴族から結婚を迫られる。9

 その日、イサーラはいつもと同じく“研究所”にこもって、奥の机に座り、経過観察の記録、及び実験記録の整理をしていた。

「サラー」

 そんな声と共に、背にのしっと寄りかかってくるものがあった。重い。大きい。
 こんな子供っぽいことをする人間は一人もいない。
 イサーラは一瞬驚いたものの、すぐに呆れ、のし掛かってくるものを押し返した。

「邪魔」
「……挨拶よりも先にひどいこと言わないで」
「挨拶よりも先に子供じみたいやがらせしてるのはそっちでしょ! ……というかいきなり入ってこないで。許可ぐらいとってよ」

 ジュリオは相変わらず呑気そうな顔でそこに立っていた。
 研究室の内側から鍵をかけられないのは問題だ――とイサーラはいまになって思う。
 椅子に座って上半身だけで振り向いたまま、幼なじみを睨んだ。
 あの求婚事件以後、いつもの愛すべき研究に埋もれ、ジュリオのことをすっかり忘れていた。
 ジュリオはすっかり慣れた様子で、作業机に腰掛ける。

「で、用件は?」
「うん、結婚しよう」

 ――ただ寄ってみただけ。そんな内容とまったく同じ口調で言われ、イサーラは一瞬止まったあと盛大に脱力した。

「あ、あのねえ……!」
「いや、勉強した。聖女アナヴィスって人について」

 思わぬ答えに、おや、とイサーラは片眉を上げた。

「ふうん? で?」
「……俺のほうが、結婚相手として優れていると思う」

 幼なじみは妙に自信たっぷりに言った。
 イサーラはとたんに冷ややかな目で幼なじみを見た。答えを返す気力も失せてしまう。
 お話にならない、という意味でひらひらと手を振る。さっさと帰れという意思表示だ。

「サラ、ちょっと待って。現実的になろうよ」

 ジュリオが少し慌てた様子を見せる。
 現実的、という言葉にいやなものを感じて、イサーラは眉をひそめた。

「どういう意味」
「だからさ……サラ、ずっとこのポーション研究? 実験? をして一人で過ごすわけか? そうじゃないだろ。ご両親も心配しているし」

 急に痛いところを突かれ、イサーラは唇を引き結んだ。
 ――それは自分もまさに考えて、だが結局解決策が見つからず先延ばしにしていた問題だったのだ。
 かなうなら研究に一生を捧げたい。しかしそれには投資の、資金の問題が立ちはだかる。

「……それ、ジュリオに関係ある? 私の両親、あなたにどうにかしてくれと泣きついたわけじゃないのよね」
「それは……、そうだけど」
「私のことを言う前に、自分の身を振り返ってみたらどう?」

 イサーラの声はつい刺々しいものになる。
 めげないだけで口論が得意ではないジュリオが言葉に詰まる。
 その姿を見て、イサーラはかすかに罪悪感を覚えた。――こんなふうに嫌味を言いたいわけではない。
 息をついて、意識的に声を和らげた。

「私の心配はいいよ。結婚って大事なものでしょ。ジュリオには資産もあるんだから、しっかりした人をもらえばいい。ジュリオを好きで、美人で、家財の管理にも長けた女性が他にいるわ。変に妥協しないほうがいい」

 イサーラは言葉は妙な激励の調子を帯びる。
 ジュリオがゆったりと薄い色の睫毛をまたたかせ、イサーラを見た。

「……しっかりした人? それってサラもだろ」
「!」

 あらぬ方向から食い下がられて、イサーラは怯んだ。
 一つ溜息をついて、こめかみに手を触れる。

「あのね……、だから、なんで私なの」
「いや……サラは昔からの付き合いだし、気を遣わなくていいかなと」
「それなら他にもいるでしょ。ロレッタとか、ルイーザとか」
「……それは……」

 ジュリオが再び言い淀む。
 イサーラはじゃっかん虚しくなった。
 ――ここまできて、なんでそこで言い淀むのだ。
 わずかに落胆した。

「まあ、私相手が一番気を遣わなくていいというのはわかる。でもそれで結婚っていうのは安易すぎるし、私のことを馬鹿にしてると思う」
「馬鹿になんて……」
「馬鹿にしてるでしょ。楽だからまあいいか・・・・・・・・・、そういう基準で私に求婚したでしょ」

 じろりと睨むと、ジュリオが声を失う。
 ためらっているのか、図星をつかれて言葉に窮しているのか、あるいはそのどちらでもあるのか。
 イサーラは気怠い溜息をついた。

「まあ、あなたの人生に口を出すつもりはない。楽で、妥当と思える相手を選べばいい。でもそれに私を巻き込まないで。私にはやりたいことがあるの」
「……ポーション?」
「そう」

 イサーラが答えると、ジュリオはどこか暗くじっとりとした目つきで、右側の棚――色鮮やかな小瓶の並ぶ棚を見た。

「じゃあその、最終目的は何?」

 恨めしげな調子で言われ、イサーラは目を丸くした。
 ジュリオは作業机に頬杖をつき、さもつまらなさそうな顔をしてイサーラを見た。

「研究の先には、目指す目標があるんでしょう。それは何?」

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