転生令嬢、幼馴染みの貴族から結婚を迫られる。7

 イサーラの前世であるところの、ニホンジンの女性――は、やりたいことが見つからずに若くして死んだらしかった。

 夢の中で、女性は朝から晩まで同じ場所に行って同じようなことをして、夜に帰る。
 小さな、ちょうどこの小屋のような家に。家というよりは一つの部屋でしかないそこに。
 イサーラにはそれが、まるで飼われた動物にあてがわれた檻のように見えた。決まった時間に出されて、決まった時間に戻されて閉じ込められる場所だ。

 女性が帰ってくる頃、檻の中はいつも暗い。
 照明がついたとき、女性は――イサーラの前世は――いつもなんともいえない寂しさを味わっている。他に空腹感や、倦怠感。そして虚無感。
 この現実を変えたいと思っている。この、意味を見出せない日々を。
 なんとかしよう、明日からはきっと、と思っている。
 ――それを何度も繰り返していた。
 そのうちに、命を落としてしまう。どうやら、病であるらしかった。
 意識がなくなってゆく間際、女性は思っている。
 私の人生、なんだったんだろ……。
 女性は生きるために働いていた。
 労働者階級だったらしい。日々に追われて人生の意味を考えなかった女性が、死の間際にはじめてそれを考えたのだ。
 強烈な後悔はやがて絶望へと変わっていった。やりたいことも見つからず、何の意味もない生。

 私の人生ってなんだったの――。

 女性のその無念は、イサーラに強く焼き付き、そしてひどく精神を乱した。
 生きるために働いた、自分の力で生きた、それでいいじゃないか――イサーラは無理矢理そんなふうに自分/女性を奮い立たせてみたが、意味をなさないことだった。

 女性の後悔はイサーラの後悔であり、女性の絶望はイサーラの絶望になった。

 イサーラは、前世の女性の記憶に飲まれて立ちすくんでいた。
 ――聖女アナヴィスの伝記に出会ったのは、そんなときだった。
 アナヴィスは若いころ、奇跡の力を持った聖女の一人として、王室の保護管理下にあった。
 王子との婚約もなり、まさに順風満帆の人生を送っていたという。
 ――だがあるとき、政府の高官の一人とそりがあわず、聖女の資格を剥奪された。
 時同じくして、王子との婚約も破談になり、王子は別の聖女と婚約したという。
 栄光の全てを奪われ、失意の中アナヴィスはひとり王都を去った。実質の追放だ。 
 普通なら、絶望して自ら命を絶ってもおかしくなかったはずだ。

 しかしそれから十年ほど雌伏の期間を経て、アナヴィスは再び表舞台に姿を現す。そのときアナヴィスは三〇歳近くになっていた。
 三〇歳の女と言えば、もはや子供を何名も産んで長子が成人していてもおかしくない年である。聖女ともなればまだ活躍していたかもしれず、あるいはまともに引退していればどこかの貴族の奥方かそれなりの資産家の妻になれていたはずだ。
 だがアナヴィスはそうしなかった。
 彼女は血を分けた子供のかわりに、自らの高潔な精神と知とたゆまぬ努力の結晶“ポーション”を生んでいた――。

 同じ女性でも、不遇にもめげず、自分の信念を貫いて偉業を成し遂げた女性ひとがいる。
 イサーラはひどく感銘を受けた。
 不安定でばらばらになってしまいそうだった自分が、アナヴィスという錨によって繋ぎ止められ、再び自分を取り戻していくようだった。
 ――あるいはニホンジンだったもう一人の自分、前世の自分もまたアナヴィスに感動していたのかもしれない。
 イサーラはアナヴィスの人生を追ううちにポーション薬学というものを知り、写本に出会い、見る見る熱中していった。

 イサーラの精神が安定して活気を取り戻すのを見て両親は大喜びしたので、娘の元気が買えるならと薬学を学ぶための金は惜しまなかった。
 ――その後、イサーラが人生を捧げてもいいと思えるほどのめりこむなどということまでは予想しなかったに違いない。
 イサーラは自分に、そして自分の中のニホンジンに言い聞かせる。

(今度こそ……やりたいことを、やろう)

 没頭できるものが見つかったいま、それ以外には何も考えたくない。
 夜会も社交界も結婚すらもわずらわしいものでしかなかった。

 

 数日の間、イサーラは平穏な日々を過ごした。つまり好きなだけ“研究所”にこもって、ポーションの作成に勤しむという日々である。
 娘の将来を案じた両親から、資金援助のためには定期的な夜会への参加を条件にされているので、先日渋々それをこなしたばかりである。
 あともうしばらくは自由にできる。
 イサーラは机に座って記録をつけながら、ふとペンを止めた。

(……やっぱり、資金が必要だ)

 研究に入れ込めば入れ込むほど、金が飛ぶようになくなっていく。
 いまは寸前でなんとか回っているが、この先発展させるにはもっと資金がいる。
 これ以上親に頼ることはできない。
 一応、我が儘を聞いてもらっているという自覚はある。
 社交界でろくな評判のない、結婚の目処もつかない自分はひたすら金食い虫なのだ。しかもその虫は自分を着飾るためでなく、ただ研究のためにそうしているのである。
 両親からすれば負債とも言えるに違いない。

(……商品化、できないかな……)

 むなしく、記録を見つめてみる。作ったポーションはいずれ商品化するつもりだ。
 いくらアナヴィスの思想を受け継ぎたいといっても、自分にはアナヴィスのような才能も膨大な資産も商才もない。無料で配布ということはできないのだ。
 安定して量産できるようになれば、それだけ安価で売り、できるだけ多くの人に行き渡らせることができる。

(資金……、資金……)

 投資家にかけあってみることも考える。
 すると今度は自分の悪評が邪魔をする。もともと、女の身で事業などというのは認められない世の中である。ただでさえまともにとりあってもらえないだろうし、もともと悪評がついた女となればどのような対応をされるか考えなくてもわかることだ。
 親を頼らず、純粋な投資も無理となると、女の身でなんとか財産を手に入れるには一つしかない。

 資産家との結婚である。

 イサーラはそう考えて心底うんざりし、盛大な溜息をついた。
 自分の容姿は、当世の美女基準からするとだいぶ離れている。むしろ暴投である。
 儚げ、とか白磁の肌の美しい美女、などとは違う。
 外に向けて放射されるような華ではなく、内側にこもるような陰鬱さ――よくいえば神秘的な翳(かげ)り――がある。
 顔のつくりも肌の色も濃い。さらに可愛げや愛想の良さとも無縁なことには自覚がある。
 結婚自体が難しい。
 こういうときばかりは、自分の力だけで稼いで生きていたあのニホンジン/前の自分・・・・が羨ましくなる。

(……なかなかに立派だったよ、あなた)

 知らず、自分の胸を軽く叩いた。もう一人の自分、ニホンジンを褒めるように。
 ――だから、いまの・・・イサーラはなんとかして自分の力で乗り越えなければならない。
 とはいえこの世界で現実的なのは結婚なのであるが、自分を好きにさせてくれて資産を持っている、先行投資と理解してくれる、さらに自分と結婚してくれる男となると、棺桶の片足を突っ込んだような老人か、あるいはよほどの変人しか――。
 そう考えたところで、ふいに頭に蘇る声があった。

『結婚。しない?』

 やや間抜けにも聞こえる、ジュリオの声。
 イサーラはにわかに衝撃を受け、少しうろたえた。

(ば、ばかじゃないの! ない! さすがに、ない!)

 釈明すべき人間もいない小屋で、一人頭を振る。
 だが幼なじみの突拍子もない提案は、いま、妙な引力を持ってイサーラの意識を引きつけた。
 ――ジュリオは、子爵家の嫡子である。
 この子爵家、爵位こそさほどでもないが、数代前の当主が開き直って商いをはじめたところ、大当たりして莫大な資産を築いた。
 いまや爵位のほうが単なる飾りで、かなりの資産家なのである。
 イサーラはこれまで、ジュリオが大富豪の嫡男であることをさほど気にしたことがなかった。
 ジュリオののんびりしたところ、遊んで暮らしているところ――長じてからは主に女性との遊びが忙しかったようだ――からして金に余裕があるのだろうとは思っていたが、それが自分に直接関わってくることなどなかったのである。
 ジュリオは放蕩息子もいいところだが、親子関係はさほど悪くなく、また家を傾けるほどには派手な遊びはしていないようだ。
 つまり、このままいくとジュリオは莫大な資産を受け継ぐ。
 ――その莫大な資産を受け継ぐ予定の男が、自分に求婚してきたのだ。

(なぜ……!?)

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