悪魔のような令嬢、その婚約に反対する。2

 ロジエとオリヴァーの婚約はほぼ内定ではあるものの、いまだ公にはされていない。
 公にされればさぞかし社交界は賑わい、羨望の溜息がいたるところで聞こえてくるだろう。だが誰もが似合いの二人であるというだろう。文句を言える者などいまい。
 グリシーヌはそう思いながら、発表される日をそわそわと落ち着かない気持ちで待っていた。

 その日、グリシーヌは一人町へ出た。
 なんとなく、やがて家を出て行ってしまうであろう妹に贈りものでもしようかと思ったので、見知った、小さな宝飾店に向かうことにしたのである。
 いつも同行する保護者役の乳母は、ロジエのほうへ付かせた。ロジエは友人たちと一緒に出かけることになっていた。
 既にあまり評判のよろしくないグリシーヌは、むしろこういうときに気楽な単独行動をとることができた。悪い虫がつきようもないし、傷つくだけの体面もあまりない。

 うとうとと眠気をさそうような、心地よい陽気だった。
 グリシーヌは目的の宝飾店にたどりつく。
 職人気質の主人は無愛想で寡黙だったが、品物をただ眺めていても文句の一つも言わない。腕がよく、自慢の作品をむしろ見せつけたいという気持ちがあるらしい。
 仮にも伯爵家の娘が一人で訪れても、さして気にする様子はない。両親ともどもそれなりによく通って、実際に購入しているから顔を覚えられているのかもしれない。
 小さな店とはいえ、売っているものの性質上、客の出入りが激しい場所ではない。
 静かに見ることができるのも、グリシーヌが気に入っている店の一つだった。

 ガラスケースの中には臙脂色や深緑の重厚感ある布が敷かれ、その上に凝った意匠から簡素な意匠まで、大小様々な宝飾品が飾られている。
 店内には他に客はいない。
 小さな店の奥には寡黙な店主が腰掛け、グリシーヌをちらりと見て、最低限の挨拶をしたあと黙りこんだ。長々と自分の作品の制作話などをするような男性ではないのだ。

 グリシーヌはゆったりとした気持ちで、ガラスケースの端から見ていった。
 自分の自由になる金など限られているから、買えるものも限られている。
 小さな耳飾りあたりがいいのではないか、などとはじめから見当をつけていた。
 妹の優しい目の色と合い、光を浴びると華やかな赤毛の上に現れる小さな冠のような、あの金の艶と同じ色のものがいい。

 一人吟味していると、扉が軽く音を立てた。視界の隅で店主が片眉を上げたのが見える。
 珍しく他の客が来たらしい。
 グリシーヌはとっさに顔を上げてしまいそうになるのをこらえた。
 ここにくる人間は限られている。おそらく同じ階級の人間だ。
 目でも合ってしまったら、また妙な空気になったり余計な噂になったりしかねない。
 ――なんせ自分は、伯爵家の“悪魔のような”姉だ。

「ここは人の口伝てに評判が広がっていましてね、職人の腕が確かなんです」
「まあ」
「あなたの美しさを引き立てるには、相応の装飾でなくてはかなわないと思いまして」

 男の声はよく通った。嬉しそうに応じる女の声もまた、滑らかで滴るような艶に満ちている。
 声の甘さとやりとりだけでわかるが、宝飾店に男女二人で入ってくるなど、夫婦や恋人以外にありえない。
 グリシーヌの体は無意識に強ばり、気分が沈んだ。
 ひどく間の悪い。貴族の男女ともあれば余計にこちらに対して優越感を覚えるらしく、揶揄されたり冷たい目を向けられることが多いのだ。

(早く帰ろう……)

 また時間か日を改めて来たほうがいいかもしれない。
 なるだけ二人のほうを見ぬようにしながら体を反転させた、そのときだった。

「あら、あなたは……」

 女のほうがそう声をあげ、グリシーヌは胃がひきつるような感覚を抱いた。
 彼らと自分以外に他の客はいない――つまり声をかけられたのは自分以外ありえず、気づかぬふりをして無視することもできない。
 最低限の挨拶だけするつもりで、グリシーヌはうっそりと顔を上げた。
 軽く目を瞠った華やかな顔立ちの美女がいる。
 その女が腕を絡め、隣に立っている男――。
 グリシーヌは凍りついた。
 眼鏡の奥の、名前の由来たるオリーヴ色の切れ長の目が隣の女以上に見開かれていた。
 鋭利で高い、貴族的な鼻。引き締まった顎。はっとするほど美しい顔立ち。
 社交界に出入りする淑女のほとんどが知っているであろう、その男性。

「……オリヴァー卿?」

 男の形の良い眉が、かすかに引きつる。
 まるで――面倒なことになった、とでも言うように。

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