婚約破棄された令嬢は、灰の貴公子に救われる10

 停滞する日々の中、珍しい友人の誘いは、フォシアにとってまさしく天啓のように思えた。同性の友人はさほど多くなく、彼女たちはみな積極的にフォシアを誘うほうではない。
 近頃あまり姿を見かけないけれど、と心配するような言葉がそえられて、茶会の招待状は送られてきた。フォシアも珍しく、迷うことなく参加を決めた。

 知り合いだけの小さな茶会であるというのも決め手だったが、家の中にいてグレイと姉と姉の夫となったヴィートとばかり一緒にいると息苦しさに押しつぶされてしまいそうだった。

 ヴィートやグレイは外出にあまりいい顔をしなかったが、閉じこもってばかりではフォシアの気分が塞ぐことを理解してか、行き先を確認し、遅くならない程度にという条件付きで承諾した。

 そうして、恰幅のいい乳母に付き添われ、フォシアは久しぶりに家の外の世界へ出た。
 馬車に乗り込み、目的地に降りる。

「いらっしゃいフォシア、久しぶりね。少し痩せた? もう大丈夫なの?」

 招待状を送ってきた主催主の令嬢が、愛想良く挨拶をふりまき、気遣わしげな表情を見せる。
 それがいつもと同じ顔であったことに、フォシアは大きく安堵した。
 みながアイザックとの問題を知っていて冷ややかな眼差しを投げかけてくるのではないかと不安だった。

 家に閉じこもる理由は、表向きには軽い病のためとしてあった。
 もう大丈夫、とフォシアは微笑して答え、中庭のほうへ通された。広大な敷地というわけではないが、狭くもない庭はよく手入れが行き届き、テーブルや椅子、茶器などもすでにきっちりとそろえられていた。

 既に何名か、フォシアの見知った令嬢たちが先に席について明るい声をあげていた。彼女たちはフォシアに気づくと、やはり次々と気遣う言葉をかけた。
 フォシアも、いつも以上にその配慮が嬉しく、久しぶりの他人との会話を喜んだ。

 この場に招かれた全員――年頃が近く、家格もつりあう――が席につくと、見事な食器と香ばしい焼き菓子が運ばれてきた。
 豊かな香りの茶と、焼きたての菓子で雑談にいっそう弾みがつく。

 フォシアは微笑しながら、相づちと共に友人達の会話を楽しんだ。久しぶりであるという理由だけではなく、耳は鋭敏に彼女たちの言葉を拾った。

 自分がいない間の社交界――噂。
 誰と誰がどうなったという類のものではない。自分について、どのような噂が流れているのかが気になった。それも他でもない、アイザックに関連した内容だ。
 だが、この場にいる彼女たちの口からその話題は出てこなかった。

「……そういえば、フォシアのお姉様はご結婚されたのよね。どんな感じなの?」

 いきなりそんな話を向けられ、フォシアは言葉に詰まった。
 すると、はじめに質問を投げかけた令嬢に続いて、他の令嬢たちも華やいだ声をあげる。

「そうそう! 無愛想とか口下手だとか言う人もいるけど、私は悪くないお相手だと思うわ!」
「ちょっと近寄りがたいけれど、かなり端整な顔立ちの方よね! ルイーズ家のヴィートさん!」

 フォシアの頬はかすかに強ばった。だがとっさに、いつも浮かべるあの仮面の表情――無味乾燥な微笑をつくってやりすごす。

「……ええ。姉とはとても仲がいいようで、幸せそうよ」

 恋愛話に目がない令嬢たちは、きゃあ、と嬉しげな声をあげる。
 それでそれで、と高い声は更に続きを求めてくる。フォシアはやんわりとそれを回避しようとしたが、令嬢たちの好奇心に輝く目と追及は躱(かわ)しきれなかった。

「……ヴィート……義兄は一途なの。もうずっと姉を想っていて……姉しか見えていなくて」

 軽く、なんでもないことのように口にするつもりでいたのに、ずきりと胸が痛む。

「……義兄は、前から口下手だったわ。でも姉だけはいつも義兄の言うことがよくわかるみたいで……」

 二人はいつも互いのことを気にかけていたのだ。
 色恋沙汰に敏感な令嬢たちが、一層嬉しげにさざめいた。

 ただフォシアばかりが、つくりものの微笑の下で真逆の感情を抱いていた。
 ――じくじくとした鈍い痛み。
 姉と義兄の幸せそうな姿を語ると、まだこんなにも胸の奥を軋ませる自分がいる。

 明るい声の中から、無邪気な一声が飛んだ。

「でも、意外だわ。お姉様を悪く言うつもりはないのだけれど、フォシアのほうがずっと男性を魅了していたじゃない。フォシアはとても綺麗だし。そのヴィートという人は、フォシアにも心揺らがなかったということなのね」

 からりとした声。悪意がないからこそのあけすけな物言い。
 ――本当に姉とヴィートの結婚を祝福できるのなら、笑ってしまえばいいことだった。笑うべきところだった。

 なのに、フォシアはできなかった。
 いきなり胸に一撃を受けたような気がした。

 ――この外見など、何の役にも立たない。
 ただどうでもいい人間、知らない人間から言い寄られるだけで、本当に振り向いてほしいと思った人には少しも役に立ってくれない。

 どれほど他の人間に賞賛を浴びせられようと――本当に見てほしい人に見てもらえなければ。
 ああ、でも。

(……何を考えて、いるの)

 ヴィートを、この外見でどうにかしようとしたわけではない。ヴィートはもうずっと、姉の婚約者で、いまはもう姉の夫だ。
 だから、もう――。

「フォシア?」
「……ごめんなさい、ちょっと具合が悪くなったみたい。お暇するわ」

 フォシアは席を立ち、目を丸くする知人たちに中座を詫びて半ば強引に館を去った。
 帰りの馬車に揺られながら、無意識に胸を抑えていた。

 ――嫌な気分だった。
 それが、いまだ浅ましい未練を引きずっている自分に対する嫌悪なのか、別のものなのかはわからない。
 知りたくなかった。

 家の玄関に降り立ってすぐ自分の部屋まで戻ろうとしたとき、応接間を通りがかった。扉が軽く開いていた。
 姉の笑い声と話し声が聞こえてきて、フォシアは思わず足を止めた。

 ――なぜそのまま通り過ぎてしまわなかったのか。
 何か抗いがたく引き寄せられるように目を向け、応接間の様子を覗いていた。

 そこにはルキアと、ヴィートとグレイの三人がいた。
 ルキアとヴィートは向かいあう形で座りっている。ルキアが笑って、ヴィートは優しくそれを見つめていた。
 ――いまこのときのヴィートの眼差しを見れば、彼を無愛想などとは決して言えないくらいに。

 グレイはヴィートの隣で、ただ静かにたたずんでいる。――ルキアとヴィートの穏やかだがきわめて緊密な空気に、遠慮しているかのように。

 その空気のすべてが、フォシアを打った。
 一瞬動けなくなり――そのとき、ふいにグレイがこちらに目を向けた。その双眸がかすかに見開かれたように見えた。

 少し遅れて、ヴィートとルキアも振り向く。

「フォシア? 帰ったの?」

 フォシアはかろうじて、はい、とかすれた声で答えた。逃れるように顔を背け、すぐに自分の部屋に向かう。

 息が苦しかった。
 ――ルキアとヴィートの間に入り込むことなどできない。
 そんなこと、とうにわかっていたはずだったのに。

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