悪魔のような令嬢、その婚約に反対する。6

 グリシーヌの憤慨と不信を横目に、むしろそれを煽ろうとするかのようにオリヴァーはロジエを頻繁に誘った。
 天気の良い日に公園への散歩に誘うこともあれば、演奏会や晩餐会の誘いもあり、伯爵家の邸を訪れることもあった。
 その頻繁さは、ロジエ本人を戸惑わせるほどであった。端から見れば、ロジエに対する情熱の現れ――と、言えないこともない。むしろ、そうとしか受け取られないだろう。
 両親は喜んだが、しかし、オリヴァーの本心を知っているグリシーヌとしてはその都度苦々しい気持ちになった。
 ロジエは何度か断ったが、オリヴァーがまったくめげずにたびたび誘ってくるので、必然的に応じる回数も多くなった。
 ――すると、そのたびにグリシーヌが同行することになるのである。
 妹とオリヴァーの華やかな噂が駆け巡る裏で、もともとあまり評判のよろしくないグリシーヌもまた噂されるようになった。
 演奏会に同伴した折、手洗いのために席を立って戻る最中、通路から誰とも知らぬ会話が聞こえた。

『本当だったのね、“薔薇の天使”にくっつくお邪魔虫の話』

 くすくすと笑う、女性の声。

『美しい薔薇には虫がつきものだけど、まさか実の姉だなんてねえ……。ご覧になりまして? 恰好こそ、弁えた同伴者を装っておりますけれど、ねえ』
『噂は本当だったのですわ。オリヴァー卿と妹の婚約に嫉妬して、見苦しいほどに妨害しようとしているという……』
『いやですわ。あの傲慢な態度、怒ったような目つき。あれほど不満と嫉妬を露わにするなんて、品のない……』

 ――気安い口調で吐き出された言葉の数々は、グリシーヌを鈍く打ちのめした。
 どくどくと鳴る心臓を抱えてその場を足早に離れ、妹とオリヴァーのもとへ戻ってからは笑みを保つのに全力を費やした。

 実際、オリヴァーとロジエの婚約を破談にしたいと思っているし、そのために監視のようなことをしているのは事実だった。
 だがそれは、決して嫉妬などといった理由からではない。
 言いたいものには言わせておけばいい――かつてロジエはそう言ってくれて、グリシーヌもそう思った。
 しかしいま、自分の行動だけを見れば悪い噂を肯定しているも同然だった。
 グリシーヌの心はぐらりと揺れた。

 呑気な両親が、悪化する姉の噂を耳にしたのかはわからない。
 さすがによろしくないと思い始めたのか、母がグリシーヌの代わりに同伴役を買って出た。
 グリシーヌも今度ばかりはそれを拒めなかった。
 しかし――当のオリヴァーの反応はあまりに予想外のものだった。

『いえ、ぜひグリシーヌ嬢といらしてください。噂など品位のない愚か者の戯れ言にすぎません。ロジエ嬢との仲がとてもよろしいのはわかっています。グリシーヌ嬢が同伴してくださったほうが、ロジエ嬢も喜びますから』

 口さがないものの噂など気にせずに――それが、オリヴァーの答えだった。
 もっともらしいことを言いつつ、むしろグリシーヌの同伴を強く望んでいるような気配さえ感じられた。
 表向きの言葉に両親はあっさりと納得して承諾したが、グリシーヌは疑問に思った。
 あのオリヴァーが、ロジエのためなどといって自分の同伴を望むはずがない。
 むしろ――挑戦状を突きつけられているのではないか。あるいはただ、からかわれているだけなのではないか。
 グリシーヌは精一杯冷静にそう推察した。
 だがそれもまた揺らぎつつある。

 認めたくはない、あんなのは体の良い仮面である――そう思っても、オリヴァーはロジエにとても礼儀正しく丁寧に接してくれていた。
 他ならぬ自分が、同伴者としてそれを間近に見てきたのだ。
 さすがは“夢のような”貴公子、と皮肉るつもりで見ても、何度も完璧な態度をとられると心はぐらついた。
 ――もしかしたら。

(……もしかしたら……、ロジエを、本当に大事にしてくれる人なのかもしれない……)

 他の女性との不埒な関係を悔い改め、改心してくれたのかもしれない。
 それはただの希望的推測ではあった。
 だがそれを確かめる機会が、思わぬ形で現れた。

 

 その日、グリシーヌは乳母を伴って外出した。まったくの気まぐれに、茶菓子を買おうと思い立ったからだった。
 いつもお茶のお供になる菓子はメイドが切らさず買っておくか、作り置いてくれている。だが最近、ある店の菓子がなかなか評判らしいと聞いて、急遽買いに行こうと決めたのだ。自分の興味もあったし、なによりロジエが新しい菓子に目がない。
 メイドに頼んで買いに行って貰うこともできたが、なんとなく自分で買ってすぐに持って帰り、妹と一緒にお茶を楽しみたいと思ったのだ。

 乳母と共にたどりついた店は、同じように評判を聞きつけてきたらしいご令嬢や使いの人間がちらほらと見受けられた。ショーウィンドウの中に色とりどりの菓子が並び、店員の背面には各種茶葉のいれられた缶が整然と並んでいる。
 グリシーヌの気持ちは弾んだ。乳母と一緒になってガラスの向こうの菓子を眺めたとき、ふいに、「あら?」という声がした。
 グリシーヌは思わず顔を上げる。そして目を瞠った。
 声の主は美しい女性で、グリシーヌを見つめて同じように目を丸くしている。

「あなた、先日の……」

 そう話しかけられ、グリシーヌは息を飲む。
 ――先日の。宝飾店でオリヴァーと鉢合わせたとき、その傍らにいた女性だった。
 女性はふっと微笑した。

「運がいいですわ。これから少々お時間いただけませんこと? あなたにお聞きしたいことがありますの」

 グリシーヌは頬を強ばらせる。体が緊張する。
 ――よもや先日のことに関してだろうか。
 妹に関係してくることかもしれない。女性はオリヴァーとただならぬ仲で、そのオリヴァーはロジエと婚約しているのだから。
 まるで戦いに赴く戦士のような気持ちで、グリシーヌは女性の言葉にうなずいた。

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