「グレイか? 少し調べたいことがあると言っていた」
しばらく来られないとのことだ――ヴィートの口からそう聞かされたとき、フォシアは自分でも不思議なほどに落胆してしまった。
応接間のソファで、いまグレイの代わりに座っているのはヴィートだった。
それに向き合うようにして座るフォシアの隣には、ルキアもいた。
家を連れ出されたあの日から、グレイはあまり訪れなくなった。それを不安に思って聞いたところへの、ヴィートの答えだった。
「状況が悪くなっているわけではないし、あいつがああやって考え込んだり、ふらっといなくなるのはいいことだから、大丈夫だ」
「そう……なの?」
ヴィートは、手のかかる弟を語るような顔で笑った。
「昔からそうなんだ。考えが浮かぶと、あいつはそれに没頭して、結果が出るまで人に言わないし経過も教えてくれない。周りが見えなくなると言っていた。でもそうなったあと、状況は好転することが多かった」
だから大丈夫だ、とヴィートはうなずく。
フォシアの傍らで、ルキアもまた励ますような言葉をかける。
それにうなずきながら、フォシアはにわかに頬が熱くなるのを感じた。
――グレイの姿が見えないことで、エイブラたちへのおそれや不安がかきたてられているのだと、ルキアやヴィートは思っているらしい。
だがフォシアは、グレイの姿が見えないことが気になっただけだった。
ただ単純に――少し寂しいというような気持ちだけで。そんな自分が恥ずかしい。
「そうだ、あいつから伝言がある」
ヴィートが言って、フォシアは慌てて意識を引き戻した。
「あまり閉じこもっているのもよくないから、誰かと一緒に出かけるといいと。ただ、遠くへは行くなということだ」
フォシアは目を丸くした。それから曖昧に微笑する。
(……なら、ジョーンズさんが連れて行ってくれたらよかったのに)
半ば無意識に、そんなことを思った。
(いま、何をしているの? 何を考えているの……?)
頭に思い浮かんだ青年の姿に向かって、言った。考えの読めぬ相手に対しての、怯えの気持ちから来るものではない。
ただ、相手を知りたかった。グレイがいま何を考えて、どんな行動を起こしているのかを知りたいと思った。
折良くして、知人の誘いがあったのは数日後のことだった。
先日も誘ってくれた同年代の令嬢で、そのときは姉とヴィートの話を出されてやや不自然に辞去してしまった負い目からも、フォシアは出かけることを決めた。
場所も前回と同じ相手の邸だった。
ルキアが同行者になることを申し出てくれ、フォシアは久々に姉妹で外出した。
空は穏やかな曇りで、明るすぎず暗すぎることもない。
馬車を降りて邸に迎え入れられると、開かれた庭へと促された。他にも招かれた顔見知りたちがやってきてにこやかに挨拶をしてくる。
だがその笑顔が、いつもよりどことなくぎこちないように感じられた。
(……気を悪くさせたかしら)
フォシアは胸のうちでそっと溜め息をついた。さすがに前回の去り方は礼を欠いていたし、友好的な態度とは言えなかっただろう。自分に非があるというのはわかった。
それでもこうして声をかけてくれたのだから、前回の償いの機会を与えてくれたのかもしれない。
言葉にせずとも空気を敏感に感じ取ってか、ルキアがよく言葉をかけ、相手とフォシアの会話の架け橋を作ってくれた。
フォシアは心の中でルキアに感謝した。自分から話しかけるのが得意ではないことをルキアはよく知っていて、自分も口上手というわけではないのに、気を遣ってくれている。
その配慮を無駄にしたくないと思い、フォシアは精一杯、ぎこちない雰囲気を修復しようと努めた。
「そ、そうだわ。フォシア、お庭ばかりというのもつまらないでしょうから、部屋でカードでもしましょうよ」
ふいにそう言われて、フォシアは少し意表を衝かれた。
「カード、ですか?」
「そ、そうなの。先日、教えてもらったばかりで……できれば、少人数でやりたいの。まだ不慣れで……フォシアさんが練習相手になってくれたら、嬉しいわ」
相手は気恥ずかしそうに目を伏せていった。
フォシアは少し考えた。
(……だから、なのかしら)
先ほどから、相手がやけに落ち着かない様子であったのは。何か他のことに気を取られているようなのに、話を続けようとしていた。
フォシアは、ルキアのほうを振り返った。他の令嬢と雑談しているようだった。
ここには年の近しい令嬢しかいない上、ある程度見知った人間ばかりだから、ルキアを傷つけるような人物はいないはずだ。
フォシアは目を戻した。
「私、カードはあまり得意ではありませんけれど……それでもよろしければ」
「と、得意でないほうがいいのよ! さあ、こちらへ……!」
急いたように言われ、フォシアは面食らった。そんなにカードの練習をしたいという思いに駆られていたのだろうか。
令嬢について館の中に入り、外の歓談の声を聞きながら空いた一室に案内される。
いくつかの調度品の他に、テーブルと椅子がある。
「ここで、待っていてくださる? いま、持ってくるから……」
フォシアは勧められるままに椅子に座った。
そして急いだ様子で相手が部屋を出て行くのを、わずかな違和感を覚えなが見送った。
――なぜ使用人を呼ばず、自分でわざわざ取りに行くのだろう。
なんとはなしに室内を眺めていると、間もなく扉が開いた。
フォシアは目を向け、一瞬で頭の中が真っ白になった。
「お久しぶりですね、フォシア嬢」
そう言って暗い笑みを浮かべたのは、傲岸な小太りの男――アイザックだった。
捕食者に睨まれた小動物のごとく、フォシアは硬直した。
アイザックがにやついた笑みを浮かべたまま後ろ手で扉を閉める。かちりという音が、耳を穿つ。
その音が、にわかにフォシアの正気を引き戻した。次にがたんと大きく響いた物音は、フォシアが立ち上がって椅子が倒れる音だった。
――なぜ。
震える手でとっさに口元を抑えながら、フォシアは壁に向かって後退した。
「なぜ……ここに……っ」
「はは、あなたへの思いで夜も眠れないとここのご令嬢に相談したら、快く恋の天使を引き受けてくれましたよ。こうでもしなければ、あなたは頭の悪い保護者たちに閉じ込められたまま、会えなかったでしょうからねえ」
アイザックが一歩踏み出す。獲物を前に舌なめずりするような顔は、フォシアの恐怖を呼び覚ました。
――どうして。
どうして、どうして、と頭の中でその悲鳴ばかりが反響した。
どこか不安げで急いたような、落ち着きを欠いていた相手の態度は、このせいだったのか。
裏切られた。
ふいにその答えにたどりつき、フォシアは胸をねじられるような痛みを覚えた。