フォシアは完全に虚を衝かれた。目を丸くしてグレイを見つめる。
グレイもまた真っ直ぐに見返してきた、その表情はなぜかいつもとは違って見えた。滑らかな頬や涼やかな目元にかすかな強ばり――緊張とためらいのようなものが漂っているような。
フォシアは困惑した。
「ジョーンズさんに謝罪されるようなことなどありませんが……」
「いえ。私は極めて無礼なことをしました」
グレイは抑えた声で言って、目を伏せた。怜悧な青年が自分から目を背けるところを、フォシアははじめて見た。
「くだらぬ噂のことです。正直に言って、私は、あなたの……ヴィートへの、【適切でない】態度について疑っていました」
フォシアは息を飲んだ。ようやく忘れかけていた怒りと羞恥が胸の奥から蘇ってきて、かっと頬が赤くなる。
あれは、と思わず反発しかけると、グレイはやんわりと遮った。
「ヴィートがルキア嬢に一途なのはご存知の通りです。ようやくその想いが報われるとなったとき、妨げになるものがあってはならないと思っていました。ルキア嬢の妹君は美しいと評判で、数多くの男性の憧れの的となっている――」
知らぬうちにあなたに偏見があったのだと思います、とグレイは飾らぬ言葉を続けた。
「無礼を重ねることを承知で言いますが、あなたは……ヴィートに特別な想いを抱いているように見えました」
今度は率直に指摘され、フォシアは息を飲んだ。撲たれたように頬が熱くなる。――否定できない。
言葉に詰まったフォシアの代わりに、グレイは更に言った。
「私はそれが、あまり好ましくない事態を招くのではと思っていました。姉妹だからこそ、愛憎が複雑になるというのはよくある話です。ですが、それはあなたに対する極めて無礼な思い込みであったと、いまは思います」
フォシアは目を見開いた。頬が熱いまま、思わずグレイを見つめた。
グレイもまたそれを察したように、目を上げてまっすぐに見つめ返した。
「あなたは、誠実な方だ。あなたはヴィートに対して不適切な行動をとらなかった。ご自分の気持ちより、姉君を思いやって身を引いておられる」
抑制した、けれどかすかに熱を感じる声。
だがその言葉は、いきなりフォシアの胸に飛び込んできた。ぐらりと視界が揺れた。羞恥でも屈辱でもない――感じたことのない熱がこみあげてくる。
誠実。
かつて、どんな男性にもそんな素朴で率直な表現を贈られたことはなかった。
なのにいま、その飾らない言葉がどんな賞賛より胸に響く。
フォシアはうつむいた。
そうしなければ、こみあげてくる何かに堪えられなかった。
「わ、私は……っ、誠実な人間などでは……!」
喉が震える。胸が苦しい。
熱く震えているのに、素直に受け止めきれない。
――だって、姉のために身を引いたというだけの、美しい理由ではないのだ。
「私は……、私は、卑怯な、人間で……」
喉を締め付けるものが、言葉となって勝手に転がり落ちる。
とっさに押しとどめようとする理性を、衝動が押し流す。
「私は……いつも、ルキアに助けられてばかりで」
姉として信頼すればするほど、一方で頼りすぎてしまう自分がいた。
ルキアなら助けてくれる、自分を否定しない、どんな時も――だから。
視界が、滲んだ。
「ルキアが、私のせいで神殿へ行くことになったときも……止めることさえ、できなかった」
――私のせいで犠牲になろうとしているのに。
震える息ごと、フォシアは唇を引き結ぶ。
ずっと胸の奥にわだかまっていたものを吐き出して一瞬だけ軽くなると同時に、人に話してしまったという後悔が冷たく押し寄せた。
――ルキアにさえ、伝えたことのなかった本音。
「私は、ルキアに甘えてばかりなんです。ルキアはいつも私に譲ってくれる。助けてくれる……。そのルキアの、大切な相手に……正しくない思いを抱くこと自体、許されないことなんです」
フォシアの喉は引きつる。
封じ込めていたものが、次々と言葉になって剥がれてゆく。剥がれて、もっと奥深くに押し込めていたものがふいに浮かんだ。
――姉なら。いつも自分を助けてくれて、優しくて、譲ってくれるルキアなら。
ヴィートのことも、譲ってくれるのではないか。
そう思う自分が、確かにいた。
こみあげてくる嗚咽を無理矢理噛み殺す。目の奥が熱いのは、こんなに息が苦しいのは、自分があまりにも浅ましい人間に思えたからだった。
ルキアを信じているのに、何度も救われているのに、心から幸せを願っているのに――そのルキアの想い人に、惹かれている自分。一瞬でも、譲ってほしいなどと思ってしまった自分。
(――最低だわ)
鼻の奥がつんとする。自分がこれほど卑しい女などと知りたくなかった。
グレイは沈黙していた。
思わぬ告白に言葉を失っているらしかった。賞賛した相手が、まさかそこまで卑怯で、誠実だと称した矢先のその真逆の人間であったと――失望したのかもしれない。
それでも、いっそグレイの鋭い言葉で糾弾されたほうがまだ気楽だった。
――誰かに糾弾されるのがおそろしくて、卑怯な自分を知られるのが怖くてずっと黙っていたから。
花と茶の香りがほのかにまじりあって鼻腔をくすぐったあと、グレイは口を開いた。
「訂正します。あなたは……不器用な人だ」
誠実なだけではなく、とグレイは静かな声で付け加えた。