貴人らしい傲慢さとひたむきな懇願がまじったような声だった。
フィアルカは少し意表を衝かれたが、《毒魔》に冒された者が他にもいる――また礼はするという言葉に心が傾いた。
濡れ衣を着せられ、追放処分を受けたときには天を呪いたくなったが、いま、天はまた気まぐれに救いの手を差し伸べているのかもしれなかった。
――謝礼をもらえる仕事はありがたい。
だがユーリイは、マルティーノを喚起させずにはいられなかった。ユーリイのほうが遥かに華やかな外見をしているが、年頃は同じで、おそらく貴族だ。
マルティーノに追放された以上――同じような若い貴族とはかかわりたくない。それが料理に関することなら尚更だ。
フィアルカのためらいを感じ取ってか、ユーリイは焦れたように続けた。
「頼む。むろん礼はする。俺にできる限りで、望みのままに支払おう」
そう言われたとたん、フィアルカはとっさに口を開きかけた。
――違う。謝礼をつりあげようというつもりではない。
だが面倒な自分の事情をわざわざ説明してやる気にもならない。
何より、ユーリイの切迫した目に少し気圧されていた。――それに、《毒魔》の重い症状が出ているというのが気になる。見知らぬ人間であっても、見捨てていくのは後ろめたい。
「……わかりました。とりあえず、その、もう一人の方の様子を見に行きます。できる限りのことはします」
「おいフィアルカ」
不機嫌も露わなラピスの声がする。
ユーリイはそこでまたラピスを見て、怪訝そうな顔をした。
「誰だお前は」
「こちらの台詞だ、脆弱な人間ごときが。お前のせいでこちらは迷惑している」
「な……っ!?」
「……ちょっと! 気にしないでユーリイさん。あっちはラピス、私の相棒です。あー、血のつながりのない兄みたいなものだと思ってください」
兄だと、とラピスの不機嫌な声を無視して、フィアルカは言った。
ユーリイはなおも疑わしげな目で見ていたが、やがて頭を振った。
「すぐに発つ。――あの魔物の肉は?」
「まだ残っています。それを持っていったほうがよさそうですね」
ユーリイは短く肯定した。
案内されるがまま、フィアルカはラピスと共に村を出る――はずだった。
しかしユーリイは馬であの森まで来たらしくつまりその馬に乗って帰るのだが、乗れるのはせいぜい二人。馬は一頭しかいなかった。乗れる二人のうち一人はむろんユーリイで、もう一人はフィアルカだった。
ただでさえ機嫌の悪かったラピスが更に急降下したところを、なんとかなだめすかして、あとから追ってきてと頼み込んだ。まさかユーリイの目のあるところで巨狼に戻って併走してもらうわけにはいかないし、馬もラピスを怖がっていた。
ユーリイは、フィアルカを乗せて可能な最大限の速さで馬を進ませた。
緊張と焦りがフィアルカにまで伝わってくるようだった。
――ユーリイにとって大事な人間が、《毒魔》の重い症状に悩まされているのかもしれない。
国境の村を出て馬で数刻ほど行くと、やがて目的地らしきところが見えてくる。
そこは、木々に囲まれた館だった。フィアルカがつい数日前まで出入りしていた、雇い主の館に似ている。
ユーリイは馬をとめるなりフィアルカを下ろし、ほとんど引きずるようにして腕をつかんで館に入った。
寄ってきた厩舎番や使用人らしき者たちが恭しくユーリイに挨拶し、だが引きずられるフィアルカを見て目を丸くする。
有無をいわさず引きずられてフィアルカは少し抵抗しかけたが、ユーリイの切羽詰まった様子に口を閉ざした。
館の二階、住人の居室の一つと思われる部屋の扉を、ユーリイの空いている片手が軽くノックした。
「エレナ、入るぞ」
ほとんどノックと同時にそう言って扉を開けた。
室内には品の良い臙脂色の絨毯、明るい色の壁掛け、装飾の美しい机と椅子にくわえ、大きな寝台があった。その寝台の上に人のふくらみがある。
フィアルカはユーリイに引きずられるまま、寝台の側に立った。
「――エレナ」
声を落とし、ユーリイが優しく呼びかける。
フィアルカは息を呑んだ。