称賛と感動と、崇拝にすら囲まれた少女が、やがてゆっくりと振り向く。
あどけない顔立ち。髪よりも少し濃い薄桃色の瞳はきらきらと輝き、化粧などしていなくても、どこにでもいる村娘のような質素な格好をしていても、少女の姿はこの場の誰よりも輝いていた。
「《星の聖女》さま。はじめまして」
少女は無垢にはにかみ、ぎこちなく一礼した。そのぎこちなささえ、いまはただ清らかさの象徴とうつる。
今年で二十の半ばを迎えるティアレより、一回り近く若いように見えた。
声を失うティアレの反応に不安になったのか、少女は少し緊張した様子でまくしたてた。
「あの、お手伝いをさせてください。女神さまの声が、聞こえるんです。私、聖女さまのお役に立てると思って……あ、えっと、私はジェニアといいます!」
少女――ジェニアの言葉につられてか、兵士たちの目がはじめてティアレに向いた。
頭が麻痺したような感覚の中、ティアレは半ば反射的に、これまで何百何千と浮かべてきた微笑をつくった。
「……はじめまして、ジェニア。私はティアレと言います」
「はい! お会いできて光栄です!!」
ジェニアは素直な感激を表して言った。
あなたは、とティアレは思わず問おうとして、口を噤んだ。
ジェニアの後ろに、まだ怪我を負った兵士たちが見える。
「では、後は私が……」
「せっかく女神の御力を授かった者が二人もいるのです。いま、ぞんぶんにその力を使うように」
神官長が居丈高にティアレの言葉を遮る。
ティアレは思わず神官長を見た。常よりずっと厳しく冷たく、蔑みさえ強くなった目が睨んでいた。まるで、ティアレという聖女を糾弾しようとしているかのように。
「はい、喜んでお手伝いさせていただきます!」
ジェニアの弾んだ声が響く。
ティアレは何かを言おうとして、唇を閉ざした。――私情に振り回されている場合ではない。神官長の言う通り、癒しの力が使える人間が二人もいるなら、二人で負傷者を見るべきだ。
(考えるのは、後)
精一杯背筋を伸ばし、《星の聖女》らしく見えるようにつとめる。
重い体を無理やり引きずり、治癒を待つ兵士たちの中を進んで跪いた。
両手をかざす。息を整える。目を閉じる。
(集中して)
二人目の聖女。強大な力を持った少女。――頭を殴りつけるようなその衝撃を必死に押し込める。雑念を払う。
どんなときも集中できるよう、鍛錬してきたはずだ。
――おお、とまたどよめきがあがる。
目を閉じていても、ジェニアの力が発揮されているのだとわかる。瞼越しにすら感じられる、強い光。女神に愛された者の輝き。
それもまた振り払い、ティアレは感覚に集中する。
手に淡い熱が集まり、光に変わる感覚を思い出す。光が相手へ注がれ、傷を塞ぐ想像。
集中して、と自分に言い聞かせる。何度も、何度も。
慣れたはずの、あの感覚が来るように。
(フルーエン様……どうか……!!)
祈る。懇願する。胸の内で叫ぶ。
なのにまだ、かざした手は冷たいままだった。
「聖女様……?」
兵士たちの不安の声が聞こえる。
それにまた、ジェニアへの感嘆の声と感謝の声が。
ティアレは頑なに目を閉じる。眉間に皺を刻み、痛みに堪えるような表情になっても。
(うそ、うそ……っ!!)
手がかすかに震えるのを止められない。
まさか。
そんな。
抗いがたい暗さが、冷たさが胸に広がっていく。
もがいてももがいても、余計に飲み込まれていくように。
火が消えたあとの、冷えていくばかりの夜のように。
ティアレは目を開く。
かざした手に光は集まらない。ただただ、すがるように自分を見つめてくる目。聖女様、と控えめに急かす声。
女神様、ともう一度胸の中で祈った時、紺色の瞳から雫があふれて落ちた。
その雫さえ、凍り付くような冷たさしかなかった。
――それからのことを、ティアレはおぼろげにしか覚えていない。
ジェニアの無垢な驚きの目が、あまりにも残酷な輝きに見えた。
『頭の中に声が聞こえるようになって……《助けなさい》っていう声です。はじめはささやきみたいな声だったんですけど、だんだん強くなってきて……それから、傷や怪我を治せるようになっていったんです』
『いまはもう、はっきりと女神さまの声が聞こえます。女神さまとつながっているのを、強く感じられるんです』
神官長のかつてない冷ややかさと軽蔑の意味。
『ジェニアこそが真の聖女です。この者こそ、女神に選ばれた聖女。神殿に入ることすらなく、ここまでの力を扱えるとは』
――何年も神殿に入って無駄に日々を過ごし、力を失った者とは違って。
『元聖女ティアレは、女神の寵愛を失いました』
神官長の宣言が、凍てつく刃のようにティアレを切りつけた。
ティアレは泣き叫ぶことも、否定することもできなかった。
事実であったから。
『あるいはこの者は、女神の気まぐれで少々力を与えられていたのかもしれません。しかし、女神の声が聞こえていなかったなどとは言語道断。神聖なる座を欺いた罪は死に値します。だからこそ、与えられていた力も失ったのでありましょう――』
暗く湿った牢の中で、ティアレはただじっと座り込んでいる。
簡素だが肌ざわりのよかった上質の衣装をはぎとられ、肌を刺すようなざらざらとした荒い麻の衣を着せられていた。
治癒の奇跡を失い、聖女でなくなったティアレには何も残っていなかった。
聖女として神殿に入ったときに、令嬢としての地位や家とのつながりは切れている。
この牢に入れられているのは、女神の声が聞こえると人を欺き、女神の気まぐれで多少の治癒の力を与えられ、その力さえ失った大罪人でしかなかった。
(……どうして)
膝を抱えて壁にもたれたまま、ずっとそのことばかりを考えている。
ジェニアと自分。一体何が違ったのだろう。自分の何がいけなかったのだろう。何が足りなかったのだろう。
自分より、ジェニアのほうが純粋だったからだろうか。
自分より、ジェニアのほうが魂が澄んでいるからだろうか。
もっと厳しく己を戒めるべきだったのか。もっと自分を清めるべきだったのか。
こんなふうに奪い取るくらいなら、なぜ女神は自分に力などを与えたのだろう。
――カツ、と石床を踏む硬質な音がした。
刑吏かもしれない。
だがティアレは膝に顔をうずめたまま動かなかった。
足音は近づいてくる。複数だ。
自分にも、ついに終わりの時がきたのかもしれない。
カツ、と足音が自分の房の前で止まった。
「……ティア」