わたくしの事……でございますか? わたくしの、姉ではなく?
何とまあ、異なことを仰る。
お気持ちは嬉しく思います。しかしわたくしはこの様に、到って平凡な、つまらぬ女なのでございます。
美しい姉の、妹。姉と異なり、特筆すべき処など何一つ無い平凡な女。
其れがわたくしなのでございます。姉の影、付属品としてしか語る事の出来ない取るに足らぬ女なのでございます。
何らかの異能を持つ当家の中でも、わたくしは落伍者でございました。姉は異能を持ちませんでしたが、それに代わるのがあの美貌でございました。
わたくしには、当家特有の華やかな異能も姉のような美貌もございません。
そんな平平凡凡たるわたくしには一つ、幼い頃から好きなものがございました。
万華鏡。
そう、あの万華鏡でございます。
ふふ、然様でございます。この手元に有る物も、万華鏡。特別な一品ですの。お恥ずかしい。いい年をしてと思われますでしょう。
なぜ万華鏡が好きなのか、と?
筒の中を覗くと、なんとも妖しく、不気味な、美しい世界が其処に広がっているというのが、幼少の頃より不思議でなりませんでした。
不思議で不思議で堪らないのです。
筒の底にもう一つ別世界が在るのだと思い、其の神秘に感嘆したものでございます。
合わせ鏡の細工に過ぎないのよ、等と姉は嗤って居りましたが。
鏡。
其れに対する捉え方一つ取っても、わたくしと姉は全く異なる人間でございました。
ご存知の通り、姉はあの様に大層美しい娘です。わたくしから見ても、嫉妬する気も羨む気も起こらぬ程の美貌です。いいえ、わたくしが見てもうっとりするほど。
黒黒とした烏の濡れ羽色の髪も、艶艶と南天の実の様に赤い唇も、積もったばかりの雪を思わせる肌も。
まるで芸術品の様で、ずっと眺めていたくなるほどです。
姉自身も、自分の美貌を大層好ましく思っていたのでございます。
何時も何時も、姉は暇さえ有れば鏡台の前に座り、悩ましげな溜息をついて鏡を見つめていたのですから。
執着。そう、姉は自分の美貌に執着していたのかもしれません。
わたくしなど、美しさの凡てを姉に奪われ、残った無価値な絞り滓のような顔でした。そんな自分を見るのが厭で、鏡を常に避けて参りました。
わたくしにとって此方の世界は嘲笑と蔑みに満ちていました。あの美しい姉の妹なのにと何度言われたことでしょう。
其れに較べ、万華鏡の世界は静謐で整然として居ります。美しく、唯美しく其処に在るのです。
万華鏡はわたくしの心を癒してくれさえすれど、決して嗤うことや蔑むことを致しません。
合わせ鏡の世界は無限に続きます。果ての無い広々とした世界。無限に美しい地獄。此れを神秘と呼ばずしてなんと申しましょう。
姉が鏡の中の自分に見とれるのと同じ熱心さで、わたくしは万華鏡を覗いていたのでございます。万華鏡を覗いている間は、わたくしは平穏でいられましたから。わたくしの執着は万華鏡と言って善いのでしょう。
姉に美しい婚約者が出来たときも、万華鏡のお陰で祝福することが出来たのでございます。
……元より叶うはずのない想いでございました。わたくしごときがあの方をお慕いするなど、身の程知らず、烏滸がましいことでございます。
美しい殿方が美しい女を求めるのは当然のこと。そうでございましょう?
――あの方がわたくしにお戯れを? まあ、ほほ、単なる噂でございますよ。あの方が、姉の婚約者となったあの方が、わたくしなどに本気で不埒な真似をするはずなどないではございませんか。……そうでしょう?
あの方は女性と見れば誰でも口説かれるのですよ。美しい殿方を慕う女子は多いのですから、あの方は一人でも多くの女に情けをかけようとなさっていたのでしょう。
姉もそれを善く解って居りました。本命が自分だと解っていましたから、悋気を起こすようなこともございませんでした。
あら、まあ。
姉が失踪したのは、他の女性の嫉妬が原因なのではないか、と?
嗚呼、然様でございますか。あの方が思わせぶりなことをして、其れに思い上がった他の女性が思い詰めて。
姉に嫉妬して、姉に危害を加えた……姉の失踪は其れが原因なのではないか、と?
確かに、其の様な可能性も否定は出来ぬものでございます。
人の嫉妬というのは、恐ろしいものでございますから。
姉に嫉妬する女性は少なくはなかったと記憶しております。ご存知のように姉はあの性格ですから……。
自分に自信があるというのは、傲慢さと紙一重にございます。謙遜の下手な人でしたから、反発する方も居られたことでしょう。
心当たりでございますか? さあ、此れといった方は……。姉の交友関係は存じ上げませんので。
あの方が亡くなられたのも、気の毒なことだと思っております。
婚約者である姉が失踪して、あの方もたいそう心を痛められたことでしょう。あの方は、姉との婚約をとても喜んで居られましたし、姉を強く想ってくださっていましたから。
姉が失踪し、心労が祟って倒れたのも無理の無いことでございましょう。
無論、当家も総出で姉の行方を捜しました。何せ、結婚式を控えていたものですから。始めは、すわ間男と駆け落ちか、などと口さがなく言う者も居りましたが、此れがとんと。
姉に焦がれる殿方は何人か居られましたけれども、姉はあの方程は相手に誤解させるような真似は致しませんでしたので。あの方と婚約してからは特に。
ふふ、女にとって貞節というのは殊更重要なものでございますから。世間の目も厳しく、火遊びなどは決して許されません。
それで今日に到ります。今日で……そう、もう三年ほどになりますでしょうか。
両親はすっかり気落ちしてしまって。
え? 貴女は気丈ですねと仰る?
……ふふ、わたくしはいままで呑気気ままな次女でしたもの。何の責任もなく、期待もされず。こんな非常事態ぐらい、役に立たなくてはと思ったのですわ。
すっかり当主気取りになってしまいましたけれど、両親がわたくしに任せるというものですから。ええ、こんなわたくしでもやり甲斐のようなものは感じております。案外、わたくしにも役に立てる所が有ったのでございますね。
――あら、もうこの様な時間。探偵様、申し訳ございません、もう少しお話したいところですが、そろそろお時間のようです。いえ、とんでもございませんわ。またいらしてくださいませ。
まあ、万華鏡に興味が? 嬉しいですわ。わたくしの所蔵品でよければ、今度ぜひご覧にいれましょう。
では、探偵様、お気をつけてお帰りください。
え、この万華鏡ですか? ええ、此れは確かに特別なものです。他に二つと無い……。けれど此ればかりはお見せすることは出来ないのです、申し訳ございません。
これはわたくしの唯一の異能。わたくし以外の覗き込んだ者を、万華鏡の底の合わせ鏡の中に閉じ込めてしまうものなのです。
無限に続く合わせ鏡に閉じ込められたが最後、二度とは出られない……。
ええ、ええ、恐ろしいものでございましょう? まるでわたくしの妄執が形になったかの様。ふふ、浅ましいものでございます。
ですから、わたくしは此れを肌身離さず持ち歩いているのです。
……この万華鏡はどんな模様が、と?
ふ、うふふふ。
そうですね、この模様を見ることが出来るのはわたくしだけですものね。
ええ、黒黒とした烏の濡れ羽色と、艶艶と南天の実の様な赤と、積もったばかりの雪を思わせる白、いびつで奇妙で、それはそれは美しい模様ですのよ――。