断罪の火に、悪役令嬢は目覚める4

 かつての自分のように怯え震えるその声に、キャスリンは微笑した。

「ええ、そうよ。お前達が望んだもの。お前達がそうあってほしいと望んだものよ」

 憐れみさえこめて応じ、キャスリンは気怠く髪をかきあげた。
 その仕草でさえ、吐息の一つさえ、どこか艶めかしさが漂う。
 裸足で、罪人の麻の衣を纏った女――炎を纏わり付かせる女。その異様な姿に、誰もが息を止めて見入る。
 キャスリンはバルコニーへ目を向けた。
 そこには一転してうろたえる見物客の姿があった。――聖女テレサもまた、愕然と目を見開き、手すりを握りしめて硬直していた。
 キャスリンはその顔に、微笑を向けた。もはやただ、憐憫しかこめられていない微笑だった。

「――怖かったのでしょう? 魔女わたしが」

 優しく諭すように、語りかける。
 なぜ聖女が自分だけを冷遇したのか。
 真逆なのだ。

魔女わたし聖女あなたは異能者……建国の時代から必ず共に語られる、表裏一体の存在ですものね?」

 聖女にとって、魔女だけが気を引くものだったのだ・・・・・・・・・・・・・・・・。それ以外はなにも脅威となりえなかったから、どうでもよかったから無尽蔵な寛容を発揮できたのだ。
 聖女がたった一人、拒んで疎んじた“魔女”――それは特別な対象であることの裏返しだった。
 とたん、聖女の顔が歪んで紅潮した。

「だ、誰か……誰かあの女を捕らえなさい!! はやく!!」

 甲高くひきつれた声がこだまする。だが誰もが、火の色に染まった世界に飲まれて動かなかった。
 火を従えた魔女以外には。

「――キャス!!」

 炎の世界を、青年の叫びが貫く。
 耳慣れた青年の声に、キャスリンの凪いだ心にかすかなさざめきが起こった。
 振り向くと、硬直した見物客をかきわける者がいた。

「……ラッセル」

 真っ直ぐな褐色の瞳がキャスリンを捕らえる。
 駆け寄ってくる。キャスリンはかすかに後じさりそうになった。
 ――今の自分を見て、ラッセルはどう思うだろう。
 彼は、魔女であることを否定し続けた卑屈な自分を愛してくれた。

 主のためらいを察したように、まとわりついていた火が地面をのたうち、ラッセルの接近を阻む。
 魔女の目と青年の目が合った。
 キャスリンにとって恋人と呼べるたった一人の青年の目が見開かれる。
 ――だがそこに浮かんだ表情に、キャスリンは息を飲んだ。
 そして、すべてを理解した。
 ラッセルの顔に浮かんでいたのは――驚愕でも怯えでも恐怖でも、安堵でも気遣いでもなく、

 歓喜・・だった。

 こんな姿を見て、
 罪人として火刑に処された姿を見て、
 魔女であることを受け入れて火に巻かれた姿を見て、

 ラッセルは、喜んでいるのだ。

 会いたくて会いたくてたまらなかった恋人にようやく会えたかのように。
 こんなに喜びに満ちた彼を見たことがなかった。こんなに、両目を爛々と輝かせた彼は。
 キャスリンの中に残っていた最後の、臆病な女の一欠片が火の中に消えていった。
 その一欠片が灰となって、かわりに一つの推測をキャスリンにもたらす。
 ――なぜいまになって、自分が火刑に処されることになったのか。

 聖女の反感を買っていたのは前からだったし、火あぶりの決行を決断させるほどの失態を自分はおかしていない。
 他の何かが、あったのだ。聖女がそう決断するほどの何かが。
 ――もし聖女を、そそのかした者がいたとしたら。

「……あなたなの、ラッセル?」

 キャスリンの周りで火は勢いを増し、踊り狂う。何者にも主に近づけまいとする。
 短い問いの意味を、青年は正確に理解したようだった。
 かすかに喉を鳴らすような仕草をして、キャスリンから一瞬とも目を逸らさずに言った。

「ああ……、この国に縛られた君を手に入れるには、君をとらえる軛(くびき)を壊すには、こうするしかなかった。もちろん、君が本当に命を落とすことなどないように……」

 ラッセルの声はかすれていた。
 一度たりとも、そんな感情も露わな声を聞いたことがなかった。――いつも余裕があって優しくて、甘いささやきばかりだったから。

「はじめて君を見た時から惹かれた……狂うほど君が気になって仕方がなかった。理由がわからなかった。だがいまはわかる。君の、臆病と卑下の奥にあったもの……」

 熱に浮かされたようにラッセルは言う。
 炎は無慈悲なほど正直に照らし出す――食い入るように見つめてくる両目に情欲が揺らめいている様を。

「――怒りだ。抑えつけられ鬱屈した矜持……君のその……魔女としての本質。抑圧されていたそれが、僕をどうしようもなく惹きつけた。だから……ああ。君は、なんて」

 なんて美しいんだ。
 ラッセルは欲情していることを隠そうともせずに言った。
 キャスリンはその、重く濡れたような眼差しから顔を背け、物憂い溜息をついた。肩からこぼれた髪を払う。
 ――かすかにわいた怒りや恨みは、すぐに消えていった。
 いまや自分は完全な自由を得ることができた。決して自分を裏切らぬ炎さえも。

「キャス……キャスリン」

 ラッセルが酔ったような足取りで近づいてくる。
 二人の間を分かつ火焔が勢いを増し、壁をつくる。
 キャスリンはラッセルを見つめ、微笑した。

「あなたには感謝しているわ……私が自由になるための手助けをしてくれたのだから。でも」

 うめくように、ラッセルが名前を呼ぶ。魅入られるまま、二者の距離が空いていることが耐えがたいというように。
 キャスリンはかすかな憐れみと、愛情の名残のようなものを感じた。

「私はもう何からも自由だわ。あなたにも頼る必要はない。あなたが私を守る必要もない。けれどそれでもあなたが、この私を欲しいというのなら――」

 ラッセルが喉を鳴らす。ほしい、とためらわずに返してくる。
 キャスリンはくすっと笑い、再びバルコニーを見上げた。
 青ざめた顔の聖女が見える。硬直し、屈辱と怒り――そしてそれ以上に、嫉妬する女の顔がそこにあった。
 その女を見つめながら、キャスリンは冷たく嘲笑した。
 火によって袖は焼け落ち、外気にさらされた無傷な腕を持ち上げる。すっと指を聖女に向ける。
 ――そして別れの言葉を告げる。

「さようなら、魔女わたしを生んだ国」

 静かな決別の言葉に、炎が応じた。王宮の足元を、聖女の立つきらびやかな建物の下方を瞬く間に火が包む。とたんに悲鳴と怒号があがり、聖女が激しく狼狽しながら後退する。

「さようなら――私を拒んだ国」

 キャスリンはそれに背を向ける。裸足の爪先を踏み出し、一歩、また一歩と処刑の場から遠のいていく。見物客は既に散り散りになり、キャスリンの奴隷たる火は十字架も藁もみな食い荒らして灰にしていた。

「キャス……」

 ただラッセルだけがその場に残り、灯りに惹かれる蛾のようにキャスリンを追いかけようとする。
 かつて恋人であった男に一瞥を投げて、魔女は言った。

「――それでも私が欲しいというのなら、私を見つけて。もう一度捕まえて」

 戯れまじりの声。唇がいたずらめいて妖艶な微笑をつくる。
 男がたまりかねて手を伸ばすと、女の周りの火が突然勢いを増した。紅の渦となって、女の身を包む。火が何者をも拒み、覆い隠す。
 一つの巨大な火柱が、キャスリンの立っていたところに噴き上がった。

「キャスリン!!」

 熱風にあおられよろめきながらラッセルは叫ぶ。どっと全身が汗で濡れ、赤い光が目を射る。とっさに腕で顔を庇う。
 やがて唐突に光が消え、顔を戻す。
 ラッセルは息を飲んだ。噴き出した汗が肌を伝い、地にしたたり落ちる。
 巨大な火柱は跡形もなく消えていた。紅の火の粉だけが、無数の鱗粉となって宙に舞っている。あとにはただ色をなくした灰が、焼き尽くされた黒い残骸が――そしてますます勢いを増した火に包まれた王宮がある。
 女の姿はどこにもない。
 闇雲に駆け寄っても周囲を見回しても。

「キャス!!」

 男の渇望の叫びが、王宮の焼け落ちる音に重なる。

 嗄れるほどその名を呼んで駆けずり回っても、求める女の姿はなかった。
 汗で濡れた男の体は、急激に冷たくなってゆく。だが頭の中は燃えるような熱を残したままだった。
 うめく。餓え。キャスリン。キャス。火に包まれた女。罪人の服を着て、それでも聖女がかすむほど美しく自分を捉えて放さぬ女。

『私を見つけて。もう一度捕まえて』

 男はその声に囚われる。呪いのように、それだけが男の生きる目的となる。
 王宮にも聖女にも背を向けて、男は足早に去って行く。
 その足が向かう先は誰も知らない。

 

 罪人を火にかけるはずの処刑台が火の海に包まれ、王宮にまで延焼したその一月後――。
 聖女テレサによって栄華を誇った国は更なる不審な大火に見舞われ、その歴史に幕を閉じた。

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