――キャスリンが処刑される。
その報せを聞いたとたん、ラッセルは商館を飛び出し、馬に跨がっていた。
昼の往来を駆け抜ける。通行人を蹴散らす勢いの人馬に、人々は悲鳴をあげて逃げ惑った。
(馬鹿な! 早まったか……っ!!)
ラッセルは歯噛みした。あたたかな麦色の髪が風で後ろに流れ、褐色の瞳は険しく前を見つめる。
端整な顔立ちの青年は、町中であることにも構わず馬を駆けさせ、王宮広場前へと向かった。
(キャスリン……!!)
青年の脳裏に、儚い笑みを浮かべた少女の顔が浮かぶ。怯え、常に人の顔色をうかがい、こちらをおずおずと見上げてくる少女。
キャスリンは三つ下の後輩だった。
ラッセルは隣国の貴族であったから実感がなかったが、どうやらこの王国では特殊な男爵家の令嬢であるらしい。更に、ラッセルの国にまで伝わる名高き“聖女”テレサに疎んじられているらしいということで、学園内では悪い意味で有名になっていた。
――だからこそ、ラッセルは逆に興味がわいた。
伯爵家の次男とはいえ、長男をさしおき、三男や四男がかすむほど容姿に恵まれたラッセルは、女性関係には早くから倦んでいた。
あの学園では、近隣の貴族の子女が集められて教育を施される。出身がどこであっても、だいたいは似たような女ばかりだった。血筋を誇る高慢な女も、へりくだりながらも遠回しに誘いをかけてくる女も飽きていた。
それは、女神とすら称されるテレサですら例外ではなかった。
キャスリンのような女は珍しかった。
気まぐれに声をかければ、天地がひっくり返ったような顔をし、露骨に慌てた。はじめは怯え、憶する様子さえ見せたが、優しく接すると次第にそれも解けてきた。それは、警戒心の強い小動物が次第に慣れてくる様によく似ていた。
ラッセルはかつてない、ほの暗くぞくぞくとした愉悦を覚えた。
次第に挨拶だけで物足りなくなり、さりげなく細い肩に手を触れるようになり、時に頬に触れてはキャスリンが赤くなるのを楽しんだ。手を繋ぐまでにさほど時間はかからなかった。
ラッセルは慎重かつ大胆に関係を進め、その先に至るまでも時間の問題と思われた。
――だがそれは阻まれた。
次男とはいえ、名門伯爵家のラッセルと、魔女の血統たる男爵家のキャスリンに間違いがあってはならぬと周囲が判断したらしかった。
ラッセルが隣国の貴族だということも災いした。
キャスリンにもラッセルにも常に監視がつき、そしてラッセルはともかく、キャスリンのほうには監視をすり抜けてまで逢瀬へと向かう勇気はなかった。
恋は人を大胆にするという――だがキャスリンは積年の自己否定と卑下によって一時の情熱さえ奪われているのだった。
そしてキャスリンには、彼女の国で親の決めた許嫁がいた。魔をおさえるため――僧侶を多く輩出している家柄の男と結婚させるというのだ。
否、それは親が決めたのみならず、この国の法が定めたことだった。隣国の貴族の男など決して許されないということらしかった。
それはラッセルが次男で、家を継がずに己の力で事業を興す人間であっても同じことであるようだった。
――魔女の血統を制御するため。隷属させつづけるため、国内に張り巡らせた何重もの枷で捕らえ続ける。
許せなかった。
ラッセルは、自分とキャスリンを引き裂こうとするあらゆるものを憎悪した。
――なぜそこまでキャスリンという女に入れ込んでいるのか自分でもわからぬほどだった。
なぜあの怯えるばかりの、卑屈な女に入れ込むのか。ただ珍しいからか。従順すぎるほどに従順だからか。あるいは自分の知らぬ自分が、思いも寄らぬ加虐心を秘めていてそれが刺激されているのか……。
いくつも理由を考え、周囲に何度も説得され、結局それらすべてが、キャスリンという女に執着している自分を自覚するための材料にしかならなかった。
ただ、キャスリンには何かがあるのだ。自分を捕らえて放さぬものが。
あるいは――それこそが、“魔女”の血なのか。
極端に怯え、己を恥じる瞳の奥に見え隠れする何か。怯えと羞恥と嫌悪の原質であろう、あの不可思議な輝き。
(早く早く早く……!!)
間に合え、と叫び出しそうになりながらラッセルは馬を駆る。
キャスリンはもうすぐ、この国から見捨てられようとしている。
自分を諦めさせるためか、あるいはただ遅れただけなのか、こんな時間になるまで報告をよこさなかった者たちの愚かさに唾を吐きかけてやりたかった。
あまりに愚かだった。
この状況は――まさに、自分が仕組んで望んだことだ。
(ああ、キャス……!!)
もうすぐだ、とラッセルは目眩のするような昂ぶりの中で思った。
その瞬間、ただ一度の瞬間に立ち会わねばならなかった。