婚約破棄された令嬢は、灰の貴公子に救われる:小話

「おいグレイ」
「……」
「グレイ=ジョーンズ!」
「大声を出さなくても聞こえている」

 鉄面皮とからかわれることもある男が眉をひそめる。
 そこにようやくいつものグレイの姿を見出し、ヴィートは内心で少し安堵した。

 特に挨拶も許可を問うでもなく、グレイの向かいのソファに腰を下ろす。

「で、どうした?」
「……どうした、ではない。人の家に勝手にやってきてこともあろうに部屋に入り込んできておいて……」
「お前の様子がおかしくなかったらそんなことしなかった。で、どうした?」

 ヴィートは率直に切り込んだ。
 すると、一言えば十返す友人は珍しく黙り込んだ。
 おや、とヴィートは片眉を上げた。

 常に沈着冷静なこの友人の様子がおかしくなったのは、数日前、ルキアの家を辞してからだ。エイブラとアイザックという難敵をようやく退け、決着を得た直後のことだった。
 しかもその後も何かを思い悩む様子を見せていた。
 この友人の性格を考えると不可解すぎることだった。

 グレイ相手には特に回りくどい言い方はせず、むしろ率直に聞いてしまったほうがいい。

(変なところで面倒な奴だ)

 時に憎らしいくらいに頭の回る男なのに、妙なところでこだわり、思い悩むところがある。考えすぎてしまうのだろう。

 ゆえに、ヴィートはいつもより少し忍耐を持って相手の反応を待った。

 すると、なんらかの熟考の末に、聡明な友人は口を開いた。

「……不適切だと思う」
「何が」
「だから……フォシア嬢に望む、関係が」

 ヴィートは目を見張った。
 この鉄面皮の友もついに冗談を口にするようになったのかと思えば、当の本人は大真面目な顔のままだった。

「一応聞くが、誰とフォシア嬢の関係だ?」
「……わかれ」
「会話の曖昧さを嫌ってたのはどこの誰だった?」
「いやな奴だな」

 グレイは心底いやそうな顔をした。
 ヴィートは思わず噴き出した。

「笑うな。出ていけ」
「悪い悪い。別に悪く思ってるわけじゃない。ただ、思いもよらないことだった」

 真面目な表情を取り繕おうとしたが、それでもヴィートは笑いをこらえるのに苦労した。
 いったい何を悩んでいるのかと思えば、まさかそんなことだったとは。

「で、何が不適切なんだ? お前はつまり……フォシアに近づきたいってことだろ。きわめて個人的に」
「……こういうときだけやけに的確だな、君は」
「まあな。そういうことに関しては俺のほうがはるかに分がある」

 ヴィートは思わず少し得意げになってから、再び話を引き戻した。
 グレイは、眉間に皺を寄せた。

「……元は、君に頼まれただけの手伝い役にすぎない。ただの、手伝いだ。見返りや、相手に対して優位な立場を得ようとしたわけではない。ゆえに……私情を挟まず、このまま去るのが正しいと、思う」

 ――そうできなければ、フォシア嬢の親しみを悪用してしまう気がする、とグレイはつづけた。
 ヴィートは、一瞬言葉もないほど呆れた。

(なんて面倒くさい)

 頭がよすぎるのも問題かもしれない。が、そういう頑ななまでの律義さは、決して悪くは感じられない。むしろこの男らしいと思ってしまう。
 ヴィートは苦笑した。

「じゃあお前、このまま疎遠になって、フォシアが別の男と結婚するのをただ見ているのか? 何の未練もなく祝福できるのか?」

 単刀直入に聞くと、グレイはかすかに目を見開いた。皮肉を返せないほど言葉に詰まる友人の姿を、ヴィートはほとんどはじめて目の当たりにした。

「それは……容認、できない」
「お前が容認しなくても、祝福しなくても、このままだとそうなるわけだが」
「いやだ。無理だ」

 まるで子供のように、だがこれまでよりもずっと感情豊かにグレイは言った。
 ヴィートは笑い、そうだろ、と強く共感をこめて言った。

「不適切かどうかは、相手とお前の間で決めることだ。どんな形になるにしろ、率直に気持ちを伝えたほうがいい。お前が、フォシアに無理強いするような男じゃないのはわかってる」
「ヴィート……」
「言葉が足りないっていうのは厄介だぞ。とんでもない誤解を生むことがある」

 言いながら、ヴィートの脳裏には、思い続けた少女の姿がよぎった。これだけ思い続け、周りに呆れられるほど一途と言われたのに、当の本人にだけ伝わっていなかったのだ。

「現にお前の先日の態度では、まるでフォシアを疎ましく思っているように捉えられてもおかしくない」
「! 馬鹿な……」
「向こうはお前が何を考えているかわからないんだぞ。俺みたいに付き合いが長くて性格を知っているわけでもない。特にお前は何を考えているかわかりにくいんだ」

 グレイはまた返事に窮する様子を見せた。

「言葉が足りない、か……」

 指摘をかみしめるようにそうつぶやき、組んだ両手に目を落としながら、続けた。

「……初めてなんだ」

 ――こんな、わけのわからない心境は。

 あまりに素直な言葉に、ヴィートは笑ってしまいそうになった。だが同時に、奇妙に安堵さえした。
 グレイという男は決して冷酷ではない。
 ただ、わかりにくいだけなのだ。

「……なんだ、その顔は」
「いやいや、お前もようやく、俺の気持ちを理解するようになってくれたのかと思ってな」

 多少の意趣返しもこめてからかうと、グレイははじめてばつが悪そうな顔をした。
 感情的すぎる、意味がわからない――かつてグレイは、ヴィートがルキアに向ける感情をそう称したものだった。

「で、どうする?」

 友人に向けるヴィートの眼差しは、自然と、かつてない優しいものになった。

 突然手渡されたものの価値をはじめて知って戸惑う少年のように、グレイはほんのわずかにためらう気配を見せた。
 だが、普段から果断な男はそれ以上迷うことはなかった。

「――伝えるよ。明確に。……そうでなければどうなるかは、身近な例があるからな」

 灰色の瞳にやや皮肉げに睨まれ、口角がゆるみかけていたヴィートは虚を衝かれた。
 こいつ、と苦笑いしながらも、遅い初恋を知った友人を温かく見つめていた。