そう言われた瞬間、フォシアの全身は総毛立った。
悪い話ではないはずです――エイブラは、両家の婚姻についての利点を滔々と語った。そこには隠しきれない自信が滲んでいた。
比べものにならぬほど莫大な財産を持つエイブラ側と、ただの中堅貴族でしかないフォシア側では本来つりあいがとれない。
家の利益という点からみれば、フォシア側は狂喜して快諾すべきであれ、断る理由などどこにもない――一見すると穏やかに語るエイブラからは、そんな不遜さが滲んでくるようだった。
フォシアは思わず両親を見た。エイブラの提案をすぐに断ってくれることを期待した。 だが父も母もひどく困惑した様子で沈黙し、エイブラは自信に満ちた笑みをいっそう深めるばかりだった。
『いますぐに返事をいただきたいということではありません。ですが、子供のよき未来を思う親同士――良い選択をしていただけるものと信じています』
エイブラは腰を上げ、退室する前にフォシアに眼差しを向けた。
『我が息子の妻になっていただけるなら、かつてない豊かな生活をお約束しますよ』
聞く者によっては、心強く響くかもしれない言葉だった。だがフォシアには、不気味な呪いの言葉のようにさえ聞こえたのだった。
――相手はあのエイブラだ。
両親が悩んでいる様子を見て、フォシアはざあっと血の気がひいていくのを感じた。
アイザックと結婚するなど、ありえない。なのに、両親は迷う様子を見せている。
両親はいつも自分を尊重してきてくれた。だから、適齢期のフォシアの結婚を急がせるようなこともせず、あえて強要するようなこともなかった。
フォシアがいやだと言えば、ほとんどその通りにしてくれた。
――それでも、家のためにいずれどこかの誰かと結婚しなければならないことは、フォシアもよくわかっていた。
異性は自分の外側しか見ないのだから、誰でも同じだ。だが、誰でもいいというわけではない。
アイザックは特に嫌悪感すら感じる相手だ。これまでの相手以上に受け付けなかった。なのに、その相手に対して両親は迷っている。
フォシアは両親に裏切られたようにさえ感じた。
だが、フォシアを打ちのめしたのはそれだけではなかった。
あのアイザックとフォシアの婚約話が出ている――そんな噂が一部の耳聡い貴族たちに拾われ、フォシアは外出先で嫉妬や羨望、好奇心まじりの言葉をかけられた。
正式な発表はおろか、エイブラの提案に対してまともに返事すらしていない。それなのにあまりにも速い漏洩だった。
不自然な速さは、何者かの意図を感じさせた。――おそらくは、エイブラ側の意図でしかありえない。
噂は本当なの、と声をかける者たちの中に、フォシアの気持ちを理解する者はいなかった。
強大な権力者の息子との婚約を本気でうらやましがる者もいれば、ほの暗い嘲笑の色合いさえ滲ませる者もいた。あのアイザックと婚約か、と嘲笑うかのようだった。
フォシアは全身から血の気がひいていくのを感じた。
誰も、自分のことをわかってくれない。常に感じていた思いが突如強さを増し、圧迫する力を持って押し迫ってくるようだった。
だから、唯一の救いを求めた。
決して自分を裏切らないただ一人の相手――姉に気持ちを吐き出した。
優しい木陰のような温かさと抱擁感を持った姉は、感情に乱れて何度も言葉を詰まらせるフォシアに、辛抱強く待って耳を傾けた。
最後まで話を聞いたあとで――強く眉をひそめ、ありえない、と声に怒気を滲ませた。
『アイザックという男の噂はわたしも聞いたことがあるわ。あんな男のもとに行ってはだめよ』
日頃温厚な姉が静かな怒りを滲ませて言ったとき、フォシアの目の奥は熱くなり、また涙をこぼした。
ルキアは、いつもこうだ。――妹を決して否定しない。鬱屈した目で見ない。
絶望に立ちすくんでいた自分とは対照に、姉はすぐに両親を説き伏せ、エイブラ側との婚約を蹴るようにと決意を固めさせた。エイブラと結婚することの利益を考えていた両親はやや難色を示したものの、娘への溺愛の気持ちが上回ったようで、後日、エイブラの提案を断った。
フォシアは安堵した。これでまた、漠然と日常に戻れると思っていた。
――愚かだった。