女は、いつでも微笑していた。
その豊かな髪は純粋な金。その穏やかな瞳は輝けるサファイア。悩ましげな、やや厚い唇はルビーをとかしこんだよう。肌の色は磨き上げた水晶のよう。歯と爪は真珠で出来て、すらりとした目鼻立ち、長いまつげは絹糸に琥珀をひとはけ乗せたよう。
宝石の中の宝石、その女王。
古今東西、ありとあらゆる賞賛の言葉が、詩人の歌が彼女に捧げられた。彼女の瞬き一つに、やんごとなき男性たちの心がかき乱されると称されたほどだった。
無理もない。
女はそれだけの美貌を持ち、かつ妃という立場にあった。しかも出身は、湯水のごとく宝石がとれた国であり、その国は、ほかならぬその女こそを最高の宝石として生み出したのだと半ば伝説のようにうたわれた。
同時に、女は口にするのもはばかられるような言葉で罵られてもいた。
魔女、希代の淫婦、売国奴、恥知らずにして生来の娼婦。
――強欲の権化。
それは同性の貴婦人たちの妬みやそねみからくる言葉だけでは、決してなかった。
無理もない。
女はかつて、ある小さな国の王妃だったが、隣国に攻め込まれた際、女は略奪され、夫であった王と重臣たちは惨たらしいやり方で殺された。
女はその美貌ゆえに、侵略者であり隣国の王である男に見初められ、その妃となったのだった。
かつて、いまは亡き王と女とは、それはそれは仲むつまじき夫婦であったのだという。
だが女は、目の前で夫たちが殺され国が亡くなった後も、侵略者本人の妻となり、その横で笑っている。
いつでも笑っている。
それだけではなかった。
女は略奪者にねだり、殺された夫の首を装飾品に仕立て上げた。はねられた首を密鑞で固め、生々しくも迫真の彫像として飾ったのだった。
――この方は美しいから。
実際、亡き王は、宝石とうたわれた王妃に劣らぬほどの美貌をもっていた。
首をはねた本人である二番目の夫は、女の望みにたいそう喜んで、はねた王の首を加工してやったのだった。
さらに女は、二番目の夫につねに高価な宝石をねだった。
――わたくしは宝石がないと生きてゆけぬのです。
宝石の国で生まれ、宝石に囲まれて育ったこの身は、魚が水を必要とするように宝石を必要とするのだと女は言った。
女の美貌に魂を奪われていた男は、二つ返事で宝石を送った。
みたこともないほど大きなダイヤモンド、青と緑の間で輝くサファイア、背徳的なほどに輝くエメラルド、憂いを帯びたルビー、なまめかしいアメジスト、無垢な白水晶、まろやかな真珠……。
女はすべて、喜びをもって受け取った。一度とて遠慮したことはなく、また一度とて満ち足りた様子を見せはしなかった。
どんなに高価な宝石を贈られても、女はまた次をねだった。
底の抜けた杯のようだ、と多くのものがせせら笑い、嫌悪した。場末でくだをまいているだけの大酒のみと変わらぬではないかと。
女の崇拝者は、女の出身国の変わった風習を引き合いにだしては擁護することもあった。だが、その声は誹謗中傷に比べてあまりにも小さかった。
女は、宝石以外のものには興味を示さなかった。高価な調度品、ドレス、毛皮、美しい奴隷を贈られても、眉一つ動かさない。
二番目の夫はそのたび肩を落としながらも、しかし宝石を贈れば美しい妻の笑顔を確実に目にできるとわかっているので、国中から、足りぬときには遠国から、宝石をかき集めた。そのためにいくつか国を攻めたときもあった。
しかしそんなことは長くは続かない。
やがて文字通りに国は傾き、魂を奪われた元侵略者は反乱者の手によって殺された。
火を片手に宮殿へ乗り込んだ反乱者たちは、目を血走らせて女を捜した。
女は、あの女はどこだ。
宝石以外にいっさいをかえりみなかったあの魔女は。この国を傾けた女は。
あの女こそすべての災い。
今度こそその息の根を止める。
反乱者たちはそう叫びあって宮殿を踏み荒らした。宝物庫は真っ先に荒らされたが、めぼしいものはほとんど残っていなかった。それもそのはず、女のために大半のものは売り払われたか、あるいは宝石類はみな女のもとにあるからだ。
女は、あの女はどこだ。宝石を飲み込み、ためこんでいる強欲な女は。
反乱者たちの火が宮殿を包んでいく中、彼らはついに、女を見つけた。
――魔女め!
激しい罵りが、女に浴びせられた。
だが、女は笑っている。いつものように――むしろ、異常に満ち足りた笑顔で。
その異様な光景に、反乱者たちはたたらを踏む。
そして、ひざまずいた女の、その傍らにあるものを見た。
それは、輝ける棺だった。
金で出来た、というものではない。
棺の内側いっぱいに、宝石が敷き詰められているのだった。
みたこともないほど大きなダイヤモンド、青と緑の間で輝くサファイア、背徳的なほどに輝くエメラルド、憂いを帯びたルビー、なまめかしいアメジスト、無垢な白水晶、まろやかな真珠……。
そのまばゆいばかりの宝石が、花代わりにぎっしりと棺を埋め、その中に一人の男が眠っている。閉じられた瞼。色をなくした肌と唇――それらの、首だけが。
鑞で固められた生首が、宝石の棺に横たえられている。
誰かが、言った。
――王……。
いまは亡き、滅ぼされた国の王。
女の最初の夫だと、誰かが震えるような声で言った。
そう、と女は穏やかな、詩人も恥じらうしとやかな響きの声で言う。
その場にいたものは、女が、その身に一切の装飾を身につけていないことに気がついた。国を傾けるほどに宝石を搾り取っていたあの女が。
ほっそりとした指先は、唯一赤く彩られている。ぽつぽつと赤い雫がしたたり落ちる。
爪が剥がれ血に染まった十の指。
女が立ち上がるのに併せて、ドレスの裾がかすかな音をたてた。
女は両手に、大きな壷を抱えている。
「わたくしの国では、尊い人であればあるほど、美しい宝石の数々を連れにするの。この人ほどの偉大なお方をお送りするのにずいぶん宝石が足りなくて、こんなに時間がかかってしまったけれど――ようやく、お送りできる」
かつて白薔薇のような、と形容された両手が、壷の中身を無造作にぶちまけた。
油の独特なにおいが、たちのぼる。液体はいびつな弧を床に描き、女と反乱者たちの間をさえぎる。
女は、地面においてあった三つ叉の燭台をとり、一つ一つ火をつけていった。
女が足を進める。反乱者たちは思わず後じさった。少しでも火の粉が落ちれば、燃え上がる。
逆に、扇子よりも重いものを持ったことがないであろうか弱き女を突き飛ばして火を奪うことは容易であったはずなのに、そうしようとする者はいなかった。
「ねえ、宝石は、もうないの?」
魂をとろかすような微笑を浮かべ、女は言う。
悲鳴。震えた罵倒の言葉が返る。
女は、そう、と笑って答えたまま、おもむろに燭台を落とした。地面に落ちた火は、待ちかねたといわんばかりに、油を得て一気に炎を巻き起こした。
反乱者たちは叫びをあげ、我先にと逃げ出した。
女はゆっくりときびすを返し、今度は置いてあった短い剣をとる。花と蔦と蝶が絡み合い、たわむれあう見事な銀細工の柄は、だがところどころに不自然なくぼみができていた。もとは宝石が埋め込まれていたのを、女は自分の爪と指先でそれを抉りとったのだった。
赤い唇が、最初の夫の額に落とされた。
そうしてから女はおもむろに自分の胸に刃を突き立てた。
ルビーをとかしたような唇から、溢れるようにもっと赤いものがでる。その唇には微笑が刻まれたまま。炎の中で金の髪が照りはえる。
薄く瞼をおろしたまま、サファイアの目をのぞかせて。
『愛しい人。どうか笑っていておくれ。あなたの笑顔こそ私を導く光』
宝石の中の宝石とうたわれた体が、まばゆい棺に蓋をした。