『悪しき令嬢の数奇なる婚約』

前編


「君との婚約は解消する――お別れだ、ラフィーヌ」
 王太子であり婚約者であるその人が告げたとき、侯爵令嬢ラフィーヌは世界が突然引き裂かれたような衝撃を――

 ――受けたりはしなかった。

 そりゃそうだ、とラフィーヌの中の()は思ったので。

   ◆

 夢のような本当の話、というよりこれは間違いなく私の夢なんだろう。
 明城(あかぎ)ゆりか。それが私の本当の名前だ。現代日本に生きる、ごく普通のOL。毎日エクセルとワードと経理ソフトとコピー機と電話応対と戦っていた。

 彼氏? 結婚? 知らない子です。

 かわりにゲームという趣味がある。社会人になってだいぶ経つがやめられない。職場の人にも友人にももちろん話したことはない。
 ……職場に一人だけ、同じゲーム好きっぽい昏木(くらき)さんって子がいるけど、休憩時間に一瞬スマホの画面を見ただけで、見間違いかもしれないので話す勇気はない。
 こういうふうに実況中継というか、漫画のモノローグ風にしていま起こってることを捉えることは、ここ最近ですっかりクセになってしまった。そのほうが冷静さを保っていられるから。

 ――というのも、私、明城ゆりかは乙女ゲーム『光咲く庭の少女』の中に入りこんでしまったらしいので。

 まともに考えれば夢を見てるってだけなのだとは思う。どこで寝落ちしたのかは覚えてないんだけども、ここのところ、遊ぶゲームがことごとく大当たりですっかり寝不足になっていたのは確かだった。
『光咲く庭の少女』の前は、『太陽と月の乙女』とかいうスマホゲーだった。
 あれもはまった。
 一刻も早くヘレミアスの追加シナリオください。こちら社会人、カネの準備ならできている。
 ……ともかく、乙女ゲーはいい。夢を見させてくれる。

 ……そういうわけで夢を見すぎたのか、『光咲く庭の少女』の世界に入り込んだ。
 それも主人公――ではなく、そのライバルキャラ、侯爵令嬢ラフィーヌとして。



 私は鏡を見る。ラフィーヌの姿が映っている。
 鏡の中の少女は美しかった。豪奢な金髪は、ややくどいくらいにくるくるの縦ロール、つり目だが大きな瞳はピンクダイヤモンドのようで、睫毛もお人形さんみたいな長さとカールっぷり。肌が抜けるような白さな上、ラフィーヌはかなり体格がいい。しっかりした骨格っていうのかな。

 華奢な少女、ではないんだけど、肉付きがよくて色っぽいタイプ。これまた派手すぎるくらいに派手な赤いドレスがとてもよく似合う。
 恰好も派手、体もがっしり妖艶系、顔つきはきつめ系美女……となれば、もういかにもライバル(・・・・)っぽいわけだ。

 けど鏡の中のラフィーヌはどこかとぼけた顔をしていて、腕組みをする様子もちょっとふぬけたような感じがある。
 中にいるのが明城ゆりかっていう現代日本人だからだろう。
 本来のラフィーヌの意識がどこにあるのかはわからない。なくなってしまったのか、あるいは脳の奥底にでも眠っているのか。

 私……明城ゆりかという意識が目覚めたのは半月ぐらい前だろうか。最初はえらい混乱したが、この脳内実況でナレーション役みたいなことをしてるうちにだんだん落ち着いてきた。夢だと思えば、まあ。
 で、この婚約破棄の流れにも、()は別にショックなど受けない。知ってたからね、この流れ(シナリオ)
 私にとって王太子は別に嫌いなキャラではなかったけども、特別好きなキャラでもなかったし。

 ゲームの中では、ラフィーヌは典型的な高飛車イヤミキャラだった。
 純粋培養なヒロインちゃんに突っかかりまくる。マウンティングしまくる。が、それがすべて裏目に出る。最後にはいやがらせの数々がすべて暴露されて評判が地の底に落ちる。
 然る後、攻略キャラの一人である王太子はめでたくヒロインへの真の愛に目覚め、ラフィーヌは捨てられた。

 捨てられたはいいものの――ラフィーヌの両親は、体面のために別の相手を見つけた。
 王太子に婚約破棄をされ、ヒロインへのせせこましいいやがらせが露見してラフィーヌの評判はたいそう傷ついたが、それでも名家のご令嬢なのでいきなり平民に堕とされるなんてことはない。
 今度の相手はラフィーヌの評判がぼろぼろになったにも関わらず婚約を快諾してくれた。
 なぜなら……。

 ――あ、どうやらこの邸の主人、つまり婚約者殿が帰ってきたらしい。
 (ラフィーヌ)は出迎えるべく、いそいそと部屋を出た。
 私の推しのご帰還だ。



 トレゾール侯爵ウィアム。名門貴族トレゾール家のご当主にして、王太子殿下と昵懇(じっこん)な友人関係にあらせられる人である。つまりラフィーヌの元婚約者の親友。メイン攻略キャラの親友というわけである。

 大理石の正面階段上から、私はウィアムを見る。
 出迎えた執事に何事かを聞いているようだ。
 ウィアムは赤毛の色男だ。切れ長の目。つくりものめいてはっきりした鼻梁。整った唇には挑発的な笑みがよく似合って、ウィアムは不敵な笑みがよく似合う。情熱的とも、赤い獅子とも称される赤毛、長身と相まってそりゃもうもてる。大柄美女なラフィーヌと並んでも劣らぬ人だ。王太子と双璧をなす、やんごとなきモテ男なのだ。
 肌がほどよく日焼けしていて、やんちゃというかちょっとあぶない気配を漂わせている。

(……いいですねえ、とってもいいですねえ!)

 私は思わずにやつきながら何度もうなずいてしまった。
『太陽と月の乙女』でヘレミアス推しだった私は、『光咲く庭の少女』はこのウィアム推しになった。なんというか、ちょっと危険なにおいのするお兄さん、みたいなキャラが好きらしい。ヘレミアスとウィアムは表面は真逆なんだけどね。

 ウィアムのエンディングがないことだけがとても不満だったのだが、今回のラフィーヌでたいそう役得な思いをさせてもらっている。
 ――ウィアムは、王太子ルートでヒロインに横恋慕する役だ。それによって王太子がヒロインへの思いに気づき、雨降って地固まる的な王道ルート。

 で、王太子の本来の婚約者だったラフィーヌを、自分が引きうける。ヒロインの幸せのため、色々な感情を飲み込んで。
 なのにウィアムはヘレミアスと違って個別ルートがない! 制作者はいったい何を考えてるんだ。
 ヘレミアスの追加シナリオ以上に、ウィアムのルートも有料で出すべきだ!

 ラフィーヌはとにかく気位が高くてわがままだし、ウィアムとはたぶん気が合わない。でも家格はつりあう。よって、二人の政略結婚は有用だが冷え切ったものになる――というのは、本編に書かれてなくてもうっすらとわかることだ。

 ――で、それを立証するかのように、ウィアムの後ろから女性が現れた。
 ウィアムが慣れた様子で女性の手をとり、先導する。この間とは違う女性だ。
 私は階段の手すりに手を置いて、それを見つめてた。

(色男ですねえ!)

 思わず実況中継する。実際、ウィアムは女性関係が派手で、とっかえひっかえだ。ヒロインに本気になるまでかなり浮き名を流してばかりいた。
 今回、ラフィーヌと婚約しても女性関係がおさまることはないらしかった。むしろラフィーヌの立場がじゃっかん弱いことを利用しての節がある。

 でもそれは――満たされぬ本命(ヒロイン)への思慕の裏返しなのではないか。
 というかそうであってくれ。私はそういうのが好きなのだ。実は一途な遊び人、本命以外に冷たい……みたいな。
 にやにやしそうになりながら、婚約者とその恋人を見る。するとウィアムが視線に気づいたとでも言わんばかりに顔を上げた。
 目が合う。
 私はちょっとどきっとしてしまった。が、身についた現代的愛想笑いを浮かべ、おかえりなさい、と返していた。
 常に冷ややかな目を向けてくるウィアムは、一瞬眉をひそめた。――声もかけられたくない、ということなのかもしれない。
 しかしウィアムは声を荒らげることも手をあげることもないので、これぐらい可愛いものだ。洗練された人々の拒絶はとても上品だ。



 間もなく結婚するというのと、実家のウィアムを逃がしてなるものかと息巻いた結果、ラフィーヌは婚約者の身でありながらしばしばウィアムの邸を訪れる。泊まりこそしないものの、かなり頻繁に。
 ウィアムはそのたび留守だったり、運悪く(・・・)他の女性との火遊びから帰ってきたりと、まあ本物のラフィーヌだったら耐えられないだろうなという感じの露骨な行動に出ている。

 ――私? 私はそういう冷たいウィアムが推しなので、むしろニヤニヤしながら見守った。
 それにどうあってもラフィーヌっていいご身分だから、カネと家の力にものを言わせてだいたいの趣味は叶えられるんだよね。宝石かと見紛うほどのお菓子も食べ放題、薫り高いお茶も飲み放題。――問題は、取り巻きを失ってぼっちのティータイムになることだけ、だけど。
 仕立屋も覗き放題。その場で注文してもよい。
 ラフィーヌの体が覚えているらしくて意識が私でも文字が読めるから、本も読み放題。古典から恋愛小説までよりどりみどり。
 趣味に生きるには最高だ。ウィアムは何も言わないし、文武両道の人らしく、邸の書庫も充実しているから。
 推しを間近に見ながら好きに趣味を満喫できる。これって最高ではなかろうか。

 しかもラフィーヌ、私好みの美人なんだよね。ちょっときつめの美人顔。
 鏡を見ると、私好みの美女がいつでもそこにいるわけで。明城ゆりか本体だったらおそれおおくて直視できないようなゴージャスな美人も見放題というわけだ。しかも、笑いかけたり眉をひそめたりという表情も自由自在。すばらしい。
 私が気をつけることは、私好みのこの外見(ラフィーヌ)が崩れたりしないよう、ほどほどに節制して保つことぐらいである。



 で、婚約者と恋人が晩餐のために広間へ向かうのを見送ったあと、私はこうして客室にこもっている。
 ウィアムの書庫から拝借した、豪華な装丁に絵入りの本を広げ、ベッドに寝転がりながら読んでる。
 サイドテーブルの、手の届くところにきれいな小皿をいくつも並べてある。焼き菓子やらなんやら。
 ……お菓子をつまみながら本を読む、という具合である。
 お外用のドレスからリラックス用のドレスにも着替えた。
 ここにはスマホもテレビもパソコンもないので、引きこもり(インドア)の娯楽といったら本しかない。しかし慣れてしまえばこれも快適。
 お菓子食べながらエンタメ――疲れたらそのまま寝る。
 実に明城ゆりかの休日という感じがする。実家のような安心感である。

 そんな至福のだらだらを満喫していると、ドアが軽くノックされる音がした。
 無粋な、と一瞬面倒くさくなった。
 たぶん、ウィアム家のメイドだろう。私が滞在したときに身の回りの世話をしてくれる子なのだ。
 私は仕方なく起き上がり、一応ショールを羽織って扉に向かった。

「メリー?」

 メイドの名を呼びながら開けると、そこには――。