断罪の火に、悪役令嬢は目覚める

前編


 ――なぜ……なぜこんなことに……。

 キャスリンは青ざめた唇を震わせた。
 衝撃が過ぎ去ったあとは、太陽が出ているにもかかわらず体中に霜が張ったような冷たさに苛まれた。
 それは、自分の体を包むものが粗末な麻のワンピース一枚だからというだけではない。
 あれほど色や柄や小物との組み合わせに腐心して、周りに気に入られるよう選び抜いたドレスを着ていたことなど、もはやはるか昔のことのように思われた。
 長い髪は艶を失い絡まりあって、質の悪い干し草も同然になっている。やつれた顔に幾筋もほつれかかって、二〇になったばかりの顔を一気に何十年も老けさせた。血の気を失った肌に、目の下の隈。

 ほんの一週間前まで、男爵家の令嬢だったキャスリン――そんな娘を、嘲笑と悪意と憎悪とが囲んでいる。

 キャスリンは助けを求め、怯えた目で周りを見回す。
 けれどキャスリンの側にいるのは、いまにも巨大な十字架にこの身を押し上げようとする無慈悲な執行人であり、処刑台の周りに集まっているのは、めったにない火あぶりの刑に群がる残酷な見物客だった。
 王宮の広場前には処刑台と足元に藁の積まれた巨大な十字架が設置され――キャスリンはそこに、たった一人の主役として引きずり出されていた。

 火刑。

 それは、普通の罪人にくだされる刑罰ではない。
 重苦しい黒衣に身を包んだ男が歩み出て、両手で上下に羊皮紙を広げた。明るい日中の光の中、その黒衣の男は不気味なほど浮き上がって見える。
 そしてキャスリンを頭上から打ちのめそうとするように、威厳ある声で読み上げた。

「ここに跪いている娘、いまは家名なきただのキャスリンである娘は、隣人を呪い悪意を向け、病を流行らせ赤子を殺し、畑を荒し井戸を枯らせ、作物が実らぬよう悪魔に願った。夜な夜な出歩いては汚らわしい悪魔の集会に赴き――」

 朗々たる声は、だが意味のない音のつらなりとしてキャスリンの耳を素通りしていく。
 悪意。呪い。悪魔。
 一体何を言っているのだ。これは――誰のことなのだ。

「……これなるキャスリンは、邪悪なる力を持つ“魔女”である! よって、ここに王国の正義と安寧のため火あぶりの刑に処す!」

 糾弾に、見物客の罵倒の叫びが重なった。見物客たちは一様にキャスリンを呪い、罵り、その悪徳と不実とを詰る。
 ――誰一人として、この瞬間までキャスリンの名前も顔すらも知らなかった者たちが。

「……最後に悔い改めよ、キャスリン。遺言はあるか」

 罪状を読み上げた男が、おごそかな声で言う。
 キャスリンは青ざめた顔を上げ、無意識に頭を振った。
 ――知らない。自分は何もやっていない。

「わ、私は、魔女なんかじゃ……っ」

 何度も繰り返した主張を、痛む喉でまた繰り返す。
 だが遺言を受けてくれるはずの男はとたんに侮蔑の表情を浮かべ、見物客たちの強い罵声がキャスリンの言葉をかき消した。

「だ、れか……!」

 助けて、とキャスリンは恐怖にもがきながら周りを見回した。
 救いを求める目に、バルコニーに立つ人影が映った。
 ――真っ白な、高潔を表す色のドレスに身を包んだ女性。たおやかな手が手すりにかかっている。
“聖女”テレサ。
 慈愛と寛容の聖女。みなに平等に慈悲深く、救済を与え――けれどキャスリンただ一人に、それを与えてくれなかった人。
 どうして。

(なぜ……私だけが……?)

 繰り返し繰り返し、内外で発したその問いがまた頭に、心臓に満ちた。
 同い年で、同じ学園に通っていたテレサ。生まれつき癒やしの力を持ち、王族にも重んじられて、誰にも優しかった、国民の宝。王国の宝石。
 そのテレサさえ、キャスリンには凍てつくような目を向けた。
 ――あるいはテレサがそうしたから、他の者もキャスリンを白眼視したのかもしれなかった。

『……あなたは魔女だもの。忌まわしい血をひいているのよ』

 テレサは繰り返しそう言った。
 そしていままさに、テレサの言葉通りに(・・・・・・・・・)キャスリンは魔女として糾弾され、魔女にだけ適用される火刑によって断罪されようとしていた。
 キャスリンは震える唇を開き、目で、縛られた体でもがいてテレサに懇願した。

「テレサ、様……っ! 助けてください! 私はなにも、罪など犯していません……!!」

 聖女の慈悲を乞う。
 だが、それはこれまでずっとそうだったように、ただただ早く刑の執行を待つというような凍てつく目だけが見つめ返した。
 助けて――その言葉が、キャスリンの喉で凍りつく。
 体が冷たくなっていく。何がいけなかったのか。どこで間違ってしまったのか。
 ――テレサの言うように、この身に流れる忌まわしい血(・・・・・・・・・・・・・・)こそがすべての元凶なのだというのか。
 いま自分がここに生きていること自体が、生まれてきたこと自体が罪だというのか。
 キャスリンの頬を、幾筋も冷たい涙が伝った。

 テレサの言葉通り、この体には“魔女”の血が流れている。

 遠い昔に王族と戦ったという古の魔女。強大な力を誇った魔女は、ひとりの清らかな聖女の犠牲によって力を削がれ、王族に屈服したのだという。
 キャスリンは、その古の魔女の血統らしかった。
 だがそれはキャスリンだけではなく、キャスリンのいた男爵家そのものがそうだった。
 魔女の血統を管理下におくために、その男爵位はつくられたのだ。
 ゆえに、かの男爵家はもうずっと、どの貴族よりも王家に従順だった。他の貴族に対しては卑屈ですらあるほどに。
 王家と戦ったというのは気の遠くなるほど昔で、爵位を与えられて臣民となってからは、男爵家は誰よりも忠実で従順であった。

 キャスリンはその男爵家でも更に従順で――誰よりも、魔女の血をおそれていた。

 聖女テレサに忌まれたときからずっと、怯えながら生きてきた。
 目立たぬよう、衝突しないよう、人を傷つけぬよう、少しでも認めてもらえるよう気に入ってもらえるよう――。
 己を否定し卑下し、テレサに認めてもらえぬのはすべて己の言動が至らぬせいだと戒めて。

 学園で過ごす一日一日は、己の言動を見返しては不安になる日々であり、後悔と嫌悪を繰り返す日々だった。
 目はいつも下を向き、声は小さく、肩をすくめて過ごした。他人に不快感を与えぬように心を砕いて見目にも気を遣った。
 テレサの言葉はおろか、他人からの要求はほとんど断らなかった。断れなかった。
 そうしてうまくやってきたつもりで、自分も生きていていいのだと、魔女とは違うのだと思えてきたのに――いま、自分は魔女として火刑に処されようとしている。
 誰にも拭われず、自分ですら拭うことのできぬ涙をこぼしたまま、キャスリンは周囲を見た。
 テレサにすら見捨てられたいま、たった一人だけ縋れる人物の姿を探す。

(ラッセル……!)



 ◆



 ――キャスリンが処刑される。
 その報せを聞いたとたん、ラッセルは商館を飛び出し、馬に跨がっていた。
 昼の往来を駆け抜ける。通行人を蹴散らす勢いの人馬に、人々は悲鳴をあげて逃げ惑った。

(馬鹿な! 早まったか……っ!!)

 ラッセルは歯噛みした。あたたかな麦色の髪が風で後ろに流れ、褐色の瞳は険しく前を見つめる。
 端整な顔立ちの青年は、町中であることにも構わず馬を駆けさせ、王宮広場前へと向かった。

(キャスリン……!!)

 青年の脳裏に、儚い笑みを浮かべた少女の顔が浮かぶ。怯え、常に人の顔色をうかがい、こちらをおずおずと見上げてくる少女。
 キャスリンは三つ下の後輩だった。
 ラッセルは隣国の貴族であったから実感がなかったが、どうやらこの王国では特殊な男爵家の令嬢であるらしい。更に、ラッセルの国にまで伝わる名高き“聖女”テレサに疎んじられているらしいということで、学園内では悪い意味で有名になっていた。

 ――だからこそ、ラッセルは逆に興味がわいた。

 伯爵家の次男とはいえ、長男をさしおき、三男や四男がかすむほど容姿に恵まれたラッセルは、女性関係には早くから倦んでいた。
 あの学園では、近隣の貴族の子女が集められて教育を施される。出身がどこであっても、だいたいは似たような女ばかりだった。血筋を誇る高慢な女も、へりくだりながらも遠回しに誘いをかけてくる女も飽きていた。
 それは、女神とすら称されるテレサですら例外ではなかった。

 キャスリンのような女は珍しかった。
 気まぐれに声をかければ、天地がひっくり返ったような顔をし、露骨に慌てた。はじめは怯え、憶する様子さえ見せたが、優しく接すると次第にそれも解けてきた。それは、警戒心の強い小動物が次第に慣れてくる様によく似ていた。

 ラッセルはかつてない、ほの暗くぞくぞくとした愉悦を覚えた。
 次第に挨拶だけで物足りなくなり、さりげなく細い肩に手を触れるようになり、時に頬に触れてはキャスリンが赤くなるのを楽しんだ。手を繋ぐまでにさほど時間はかからなかった。
 ラッセルは慎重かつ大胆に関係を進め、その先に至るまでも時間の問題と思われた。

 ――だがそれは阻まれた。

 次男とはいえ、名門伯爵家のラッセルと、魔女の血統たる男爵家のキャスリンに間違い(・・・)があってはならぬと周囲が判断したらしかった。
 ラッセルが隣国の貴族だということも災いした。
 キャスリンにもラッセルにも常に監視がつき、そしてラッセルはともかく、キャスリンのほうには監視をすり抜けてまで逢瀬へと向かう勇気はなかった。

 恋は人を大胆にするという――だがキャスリンは積年の自己否定と卑下によって一時の情熱さえ奪われているのだった。
 そしてキャスリンには、彼女の国で親の決めた許嫁がいた。魔をおさえるため――僧侶を多く輩出している家柄の男と結婚させるというのだ。
 否、それは親が決めたのみならず、この国の法が定めたことだった。隣国の貴族の男など決して許されないということらしかった。
 それはラッセルが次男で、家を継がずに己の力で事業を興す人間であっても同じことであるようだった。
 ――魔女の血統を制御するため。隷属させつづけるため、国内に張り巡らせた何重もの枷で捕らえ続ける。

 許せなかった。
 ラッセルは、自分とキャスリンを引き裂こうとするあらゆるものを憎悪した。

 ――なぜそこまでキャスリンという女に入れ込んでいるのか自分でもわからぬほどだった。
 なぜあの怯えるばかりの、卑屈な女に入れ込むのか。ただ珍しいからか。従順すぎるほどに従順だからか。あるいは自分の知らぬ自分が、思いも寄らぬ加虐心を秘めていてそれが刺激されているのか……。
 いくつも理由を考え、周囲に何度も説得され、結局それらすべてが、キャスリンという女に執着している自分を自覚するための材料にしかならなかった。

 ただ、キャスリンには何かがあるのだ。自分を捕らえて放さぬものが。
 あるいは――それこそが、“魔女”の血なのか。
 極端に怯え、己を恥じる瞳の奥に見え隠れする何か(・・)。怯えと羞恥と嫌悪の原質であろう、あの不可思議な輝き。

(早く早く早く……!!)

 間に合え、と叫び出しそうになりながらラッセルは馬を駆る。
 キャスリンはもうすぐ、この国から見捨てられようとしている。
 自分を諦めさせるためか、あるいはただ遅れただけなのか、こんな時間になるまで報告をよこさなかった者たちの愚かさに唾を吐きかけてやりたかった。
 あまりに愚かだった。
 
 この状況は――まさに、自分が仕組んで望んだことだ。

(ああ、キャス……!!)

 もうすぐだ、とラッセルは目眩のするような昂ぶり(・・・)の中で思った。
 その瞬間、ただ一度の瞬間に立ち会わねばならなかった。