六巻発売企画SS(1)桜編

※三巻読了後推奨です※

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「――お前も《永久》を得る日がくる。相手が竜であろうが人であろうが関係なくな」

 *

 アクダルとのやりとりの後、シュトラールはなぜか、無性に自らの花嫁の姿が見たくなった。
 不可解な衝動は彼を急かし、せきたてた。
 だが沙久羅とアクダルの拠点に戻る途上で、遠目に、艶やかな黒髪の後ろ姿が出て行くのが見えた。澄白はどこかへ行くらしかった。
 シュトラールは拠点に戻る前にアクダルと別れ、澄白の後を追った。
 彼は歩く速度を上げて追いつこうとした。当の澄白は気づく様子もなく、唐突に道の途中で立ち止まった。
 屈んで、足元に生えている草にそっと手を触れる。少し首を傾げて思案げな顔をし、その手がいくつかの草を選んで摘んだ。
(……薬草を採取しているのか)
 彼は納得した。あの、沙久羅という人間の女性のためのものだろう。
 それならば、と澄白の作業が終わるまで、しばらく見守ることにした。彼には澄白のような薬草の知識がなく手伝うこともできなかった上、声をかけて作業を中断させることもないと思ったからだった。
 そのようにしてシュトラールは澄白を観察し続けたが、当の本人はよほど集中しているらしく、見ている者があるなどまるで気づかぬ様子だった。
 やがてシュトラールにはまったく不明な基準によっていくつかの草花が摘み取られ、澄白は立ち上がった。そして再びまた歩き出す。
 目的のものは、まだ不足しているらしい。
(……ふむ)
 声をかけるべきか否か、彼は迷った。――だがもう少し、澄白の自然な姿を見ていたいような気もした。
 真剣に植物を観察するその横顔は、静謐さと理知に満ちて好ましく感じられた。
 澄白は少し歩いたあと、何かに気づいたかのように頭上を見る。シュトラールも何とはなしにそれにならった。晴天に、鳥の小さな影が見える。
 ――鳥影に、何かあるのだろうか。
 彼は不思議に思ったが、澄白は地上に顔を戻し、また歩き始める。少しして、その足が止まった。
 華奢な背が硬直したように立ち尽くし、正面にある樹木を見つめている――。
(あれは……)
 シュトラールは、かすかに目を瞠った。
 眼前の樹木は大きく、天に伸びた枝葉は逞しかった。その枝に、無数の、小さな薄紅の花を咲かせている。花びらは風に吹かれただけで容易に散り、散った花びらは空に舞い踊り、白くきらめいていた。
 確か、『桜』と呼ばれていた種類の樹木だと思い出す。
 一斉に花を咲かせ、風に吹かれただけで散っていく――わずか数日の間だけ開花する種であったはずだ。
 地上に降りる機会などほとんどない彼にとって、この樹木を間近で見るのははじめての経験だった。
 花が散るのは、その花の最期を意味している。だがその様が、これほど美しいものだとは知らなかった。
 白く小さな花弁が、回りながら空を泳ぎ、静かに落ちてゆく。回転する花弁は瞬く星や雪にも似て、落ちてもなお地面に積もり、薄紅の絨毯を敷く。
 彼は束の間、花が散る様に見入った。――前方の娘と同じように。
 音一つたてぬまま、花は吹雪く。
 だがやがて彼の目の前で、娘が動いた。樹木に近づいてゆき、幹のくぼみに手と足をかけ、体を上に押し上げる。
 そのあまりの予想外の行動に、シュトラールは驚いた。
(なぜ、木に登る……?)
 あるいはこの樹木にも、なんらかの薬効があり、必要な材料なのだろうか。
 澄白は見るからに不慣れな様子で木に登ると、太い幹に腰掛けた。そろそろと手を伸ばし、細い枝にかけると、ゆっくりと折る。だがその体がぐらりと均衡を崩し、シュトラールはとっさに地を蹴った。
 だが澄白は慌てた様子ながらも体勢をたてなおし、木の幹に抱きついて安堵の息を吐いた。そして、頭上を仰ぐ。
 シュトラールも知らず、安堵しながら足をいったん止めた。ゆっくりと、木の根元に近づいてゆく。
 わあ、と感嘆の声が聞こえた。
 やわらかな風が吹いて、また花を散らした。
 大きく張り出した枝葉、そしてそこに無数に咲いた花を間近で見つめ、澄白は感動しているようだった。
 そのまま、息も忘れたように見入っている。
 彼もまた、その姿を見上げて目を細めた。
 夜のような長い髪に、白い花弁が戯れていく。そのなだらかな肩にも、木に触れる腕や膝にも――。
 この不可思議な光景の中では、黒髪を飾る花の形をした飾りが、本物の花のように錯覚する。
 薄桃色の衣に身を包み、袖や裾からわずかにのぞく緑が、桜の色合いと一致していた。揃えられた足の爪先は地を踏まない。
 花の天蓋を見上げる紅の瞳は、熟れた果実のようだった。
 ――その唇は、花よりもなお甘やかな色だった。
 彼の手の届かない位置で、薄紅の花弁は無邪気に澄白に戯れる。
 シュトラールは束の間、呼吸を忘れた。
 澄白が、これほど常と異なって見えるのはなぜなのか。
 人ではない、なにかもっと異なるもの――息をするのも憚られるほど、儚く美しいものに見えるのは。
 この木と花の吹雪に、そのままさらわれてしまいそうな錯覚さえ抱くほどに。
「……桜の精がいるな」
 意識しないうちに、シュトラールはそう声をかけていた。
 ひゃっ、と高い悲鳴が聞こえ、慌てた澄白が均衡を崩す。だが木の幹に抱きついて、シュトラールを見下ろした。
 紅い瞳が大きく見開かれる。そこではじめて、澄白はこちらの存在に気づいたらしかった。
 その双眸に自分の姿が映っているのを確かめ、シュトラールは名状しがたい快さを感じる。
 先ほどまでの錯覚が消える。彼女を、桜にさらわれるなどという、不可解な錯覚を排除できる。
 ――だが、それでもまだ足りない。
 沙久羅への手土産とするために、この木の枝を折ろうとした、というのが澄白の弁明だった。
 先に枝を受け取ってくれるよう、澄白はシュトラールに頼む。
 シュトラールはわずかに首を傾げた。
「構わないが」
 小枝一つ受け取ることは造作もなかった。
 しかし、彼が抱きたかったのはその枝ではなかった。
 シュトラールは両手を差し伸べる。
「君ごと飛び降りろ」
 そう告げると、なぜか彼の《花嫁》は大きく目を見開いて硬直した。おそるべきことを言われたような表情だった。ふいにその白い頬に朱が差したかと思うと、大きく頭を振る。
 彼はひどく訝しんだ。
「降りろ」
「い、いえ、あの、重いですから……! シュトラール様の腕が」
「降りろ」
「だ、駄目です! 自分で降りられま――」
「澄白」
 彼はにわかに不快感さえ覚え、強くその名を呼んだ。
 なぜ澄白はこれほど躊躇うのか。拒むのか。
 ――自ら、この腕の中に落ちてこないのならば。
「それとも私に手折られたいか?」
 紅い瞳を見つめ、彼は言った。
 澄白をこの腕に落ちてくるまで、退くつもりはなかった。
 彼の《花嫁》は、その宝石のような目を見開いた。頬を染めたまま、うう、と小さくうめき、やがて諦めたように、降りることを宣言する。
 小枝を抱えたまま飛び降りた体を、シュトラールは難なく受け止めた。
 落ちてきた《花嫁》をそのまま受け止めたためか、縦に抱く形となり、彼のほうが見上げるというきわめて稀な状態になった。
 その状態のまま、シュトラールは澄白を見上げる。
 間近にある紅の瞳が、黒く長い睫とともに忙しなく瞬いている。
 豊かな感情を映し出す、鏡のような瞳。
 腕に感じる淡い重さ、温かさと柔らかな感触。
 ――捕まえた。
 自然と、彼は唇を緩めた。


 

Photo by 0501


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