番外編3

うららかな春の日差しが降り注ぐとある日。
ここレベリオン宮廷の、巨大庭園は見事に美しい花々が咲き誇って人々の目を楽しませる。蔓のアーチを、やんごとなき身の貴婦人たちがゆっくりと歩いてゆく。品の良い笑い声を時折こぼしながら談笑に耽っている。
だがその談笑の輪の中にあって、ひとりの若き令嬢はこっそり溜息をつくのだった。
彼女は宮廷に出入りするようになり少し慣れてきた頃なのだが、新しいもの好きの彼女にはそろそろ刺激がなくなってきていた。
宮廷に参上したはじめのころは緊張と不安と期待とで刺激だらけの毎日だったが、それが過ぎてくると次第に慣れ、飽きてくる。彼女の身分では、一定以上の顔ぶれにしか会えないからだ。若い娘らしく、甘い恋の予感に胸ふくらませてもいたけれど、言い寄ってくる男性はどうもみな好みではなかった。とはいえ、いずれ家のために好きでもない相手と結婚しなければならないことは彼女もわかっている。
(ああ……それならばせめて、一時でも激しくて甘い恋を味わいたいと思ったのに)
世に出回っている物語のような恋をしてみたい。それには相手が理想的な人でなければだめなのだ。宮廷に来ればそれもかなうと思ったのだけれど、現実はそううまくはいってくれないらしい。
周囲の貴婦人たちにわからぬよう、数歩遅れて歩きながらまた溜息をつく。アーチを抜けると左手の噴水が見えた。この大庭園はちょっとした迷路のようになっているが、ほとんどが腰あたりの高さまで庭木が切りそろえられているので、そうそう迷うことはない。あちらこちらで、同じく談笑するやんごとなき人々の輪が見える。
考えるほどに意気消沈していくせいか、彼女の足はどんどん鈍ってゆく。気もそぞろに歩いているためか、ふいにつまさきが裾を踏んづけた。
(あっ!)
さっと青ざめる意識とは裏腹に、手のこんだドレスに包まれた体はまったく動かない。

「危ない!」

伸びやかな声が、彼女の耳を打った。
そしてふわりと、だが力強く彼女の腰を抱き留めるものがあった。
彼女は驚きのあまり、声も出ずに目を見開くばかりだったが、やがてのろのろと顔を上げた。
「ご無事ですか、姫君」
心底彼女を案じている、感情豊かで、それでいて透き通った声だった。
太陽のせいで、逆光になっているその姿。だが目に映るのは、凛々しい輪郭。繊細すぎるでも太すぎるでもない、貴族的であり武人的でもある不思議な均衡。かすかなあどけなさを残した、快活そうな瞳。だがその瞳にほんの少しだけ陰が宿って、憂いをそえている。意志の強そうな太い眉。整って深い鼻梁。やや大きめの口は端正さに絶妙な愛嬌をそえ、人を惹きつける。さらさらの茶髪は艶やかに輝いて、一瞬金色に見えた。
(王子、さま……?)
彼女は、しばしあ然とした。自分は夢を見ているのだろうかと思う。
反応のない彼女に、太陽の王子は案ずる表情を強くする。
「どこか挫いてしまわれたのですか? 立てますか」
声がひどく耳に心地よい。なめらかで自然な、完璧な発音のレベリオン語。田舎から上京したものが必死に覚えたものでは、断じてない。
このまま時が止まってしまえ、と彼女は心の底から思った。いや、これが夢ならもう一生夢を見たままでいい――。だってこんなに素晴らしく端正で声も爽やかで、おまけにかすかな香草のいい匂いがする人間が現実に存在するわけがない……。
仲間の一人の欠落に気づいたのか、前を行っていた貴婦人の集団がふいに彼女の名を呼び、振り向く。そしてその光景を見たとたん――全員が大きく目を見開き。
「きゃーーーーっ!?」
――そして爆発した。
「ヴェルミリオン様っ!?」
「ヴェルミリオン様よ!!」
自分を抱き留める腕がかすかにびくりとしたのを、彼女は感じた。
彼女はようやく正気に戻り、しどろもどろに言った。
「だ、だいじょうぶですわ! 立てますっ!」
心臓がひどくうるさかったが、彼女はなんとか自分の足で立った。が、それと、同じドレスを着ているとはおもえぬほど迅速な動きで先頭集団が戻ってきて彼女を弾き跳ばし――ヴェルミリオン、と呼ばれた青年を囲んだ。
「ヴェルミリオン様! お戻りになられたのですね!?」
「――ええ、昨日帰還いたしました」
「ご無事で何よりですわ! わたくし、もう心配で心配で……」
「あら! ヴェルミリオン様を案じているのはなにもあなただけではなくてよ!」
貴婦人達は包囲網を形成してしまい、彼女はすっかりそこから弾き出されてしまった。が、夢見心地のまま、ぼうっと彼を見る。
年の頃は、二十を少し過ぎたぐらいであろうか。すらりと背が高く、貴婦人たちの輪から頭一つぶん飛び出している。たてつづけの質問に、穏やかに一つ一つ答えていく様は彼がこういったことに慣れているからだろう。
均整のとれた体がまとう衣装は、驚いたことに黒地に金の刺繍がされただけのサーコートと黒の長靴で、腰には剣をはいている。余計な飾りは一切無く、全身がほとんど黒、という装いは下手したら地味で野暮で嘲笑の対象にすらなってしまう。宮廷には場違いとすら言えるだろう。
だが彼の場合、その快活で端正な、太陽を連想させる爽やかな顔だちとの絶妙な対照を醸しだし、さらには引き締まった体をより引き立たせる素晴らしい衣装のように見えた。
彼はいやな顔一つせず、しばらくいたって上品に応対し続けたあと、ふわりと微笑を浮かべて別れの挨拶に続けた。
「では、私はこれで」
黒のサーコートの裾が翻り、長身が颯爽とその場を去ってゆく。
それをなすすべもなく見守りながら、彼女の目には、青年であり少年といったような、なんとも心くすぐられる微笑が強く焼きついていた。そしてあの、耳をくすぐる心地よい声が。
(――ってぼうっとしている場合じゃないわ!!)
彼女ははっと正気に返り、猛然と闘志を燃やした。彼女の中で眠っていた何かが、むくりと起き上がった。
「ね、ねえ皆様! あの方はヴェルミリオン様とおっしゃるの!? わたくし、はじめて見ましたわ!」
「あ、そういえばあなたはまだ、あの方をご存知なかったのね。うふふ。そう、あの方こそヴェルミリオン様……。このレベリオン一の騎士よ。若くして国王様の信頼もあつい、まさに夢のような方……」
仲間の貴婦人たちはうっとりしつつ言う。
それから彼女は、できうるかぎりの情報を聞いた。
あのヴェルミリオンという青年は騎士で、しかもただの騎士ではないということ。
それでいながら生まれついての貴族、しかも武人系の名門出身であること。
性格はあの通り、礼儀正しく真面目で物腰穏やか。しかもあの通りのすばらしく端正な顔立ち。
そしてなによりも、独身。婚約者もおらず、恋人らしき存在もないということ。
国王陛下からの命でせわしく各地へ派遣されているからというのが理由らしい。
(か……完璧じゃないの!!)
彼女は落雷にあったかのような衝撃を受けた。そして、一つの確信を得る。
(あの方こそ私の運命の相手だわっ! 王子様!! この宮廷で出会うべき運命だったのよーーー!!)
握り拳をつくり、彼女の内なる何かが猛々しく咆哮した。しかしはっとなって周囲の仲間を見ると、みな同じ目をしていた。
すなわち――ぎらついた肉食獣の目。
「ふふ……。駄目よ、抜け駆けは」
「ヴェルミリオン様はわたくしたち淑女全員の共有財産……独り占めは許されないわ」
うふふふふふ、と妙に優しげな笑い声が響く。
立場としては新参者である彼女は大いに冷や汗をかいた。
「……でもね、ひとつ、凄まじい障害があるのよ」
「ああ、そうね……」
貴婦人たちは一転して難しげな顔をし、溜息をついた。
思わぬ言葉に、彼女もまた不安に駆られる。
「な、なんですの? まさか、昔恋人がいて、その方が忘れられないとか……?」
「そうではありませんわ。むしろそれならまだ可愛いもの……」
「ええ、アレは強靱な生命力におそろしく嫉妬深く、ヴェルミリオン様を独占して寄せ付けない……ああ、おそろしい! 忌々しいっ!」
「!?」
彼女は目を見開いた。独占禁止、淑女たちの共有財産だと警告したばかりの人々にここまで言わせるとは――。
「な、なんですの、その、おそろしげな女性というのは……?」
彼女がおそるおそる聞くと、仲間たちはいっせいに眉間に皺を寄せ黙り込んだ。だがやがて一人が、ぽつりとその名をつぶやいた。
「《アンジュ》……それがアレの名前ですの。幼少時からヴェルミリオン様と一緒にいたとかなんとかで、ヴェルミリオン様もそれはもう、大切にしておられて……どこへいくにもだいたい一緒で」
「んなっ……!?」
彼女は愕然とした。それではまるで、婚約者そのものではないか。しかもその婚約者は強靱で凶悪で嫉妬深い、幼馴染み――?
しかし彼女とて野望、もとい強い希望と夢をもってこの宮廷に上がってきた淑女せんしの一人である。
俄然、闘志がわいてきた。
(なによ! 婚約者の一人や二人! 負けないわ! 絶対絶対、素敵な恋をしてやるんだからーーっ!! ヴェルミリオン様を射止めるのはこの私よ!!)

「それで……その《アンジュ》という方はどこのご令嬢ですの?」

「……っくしゅ!」
「お、なんだヴェル。風邪か? ついにお前も病に倒れるときがきたか?」
「いや、なぜか悪寒が……何でそんな楽しそうな顔をしてるんだ?」
「ふははは! いやあ、お前むだに頑丈だから、つい」
ヴェルミリオンの傍らで、友人は適当きわまりない笑みを返した。二人は厩舎で鉢合わせし、いままた別厩舎へ行こうとしているところである。
ヴェルミリオンはまた考え事に耽った。
(怒るだろうなあ……)
両手一杯に《贈り物》を抱えつつ、思わず天を仰ぐ。
――仕方なかった。どうしようもなかったのだ。
遠征しなければならなかったが、アンジュは前回の戦闘で負った怪我が治りきっておらず、体調も崩していた。それに移動だけなら馬でも問題ない。
だが、知能が高いはずの《グリフォン》たるアンジュは、いくらそう言い聞かせても絶対に機嫌を悪くするのだった。
思わず溜め息がこぼれる。
「なに溜息ついてんだ。ついにあれか、せつない恋のためいきか!」
「違う。お前までそういうことを言うのはやめろ」
友は、大きな声で笑った。一方のヴェルミリオンはげんなりするばかりである。
「そういってもなー。おまえ、本当に浮いた噂一つないじゃないか。あれだけ女性の視線を湯水のごとく浴びてるくせに。それともなにか、もしかして……」
友は自分の体を抱き、ヴェルミリオンから数歩離れた。
ヴェルミリオンは肩を落とし、恨めしげな目で友人を見た。
「はなはだしい誤解および不毛と思われるその先は言わなくていい。言うな」
「……なんだよ、やけに元気ないな! いったいどうしたんだ? そういえばその手のものはなんなんだ? 貢ぎ物か? にしてはずいぶん色気がないな」
「……いまにわかる……」

興味津々の友人につきまとわれる形で、ヴェルミリオンは別厩舎にたどりついた。
そこは変わったつくりの厩舎で、馬ではなく、ただ一頭の《グリフォン》のための場所だ。香草を混ぜた大量の藁が敷いてあり、こまめに入れ替えられている。《グリフォン》が香草と清潔を好む生き物だからだ。
ヴェルミリオンの身体から香草の匂いがするのは、主にこのアンジュの香草入り藁のせいであるが、その事実はほとんど知られていない。
アンジュは、隅のほうで四肢をおり、首をまげて毛繕いをしていた。
友人は厩舎の入り口まで来たとたん、げ、と言ったきり表情を凍らせ、立ちすくんだ。それ以上動こうとしない。たとえアンジュが人に慣れていてヴェルミリオンの愛獣であると知っていても、《グリフォン》に慣れている者は少なかった。
対するヴェルミリオンはすたすたと歩いて行って、アンジュの前に立った。
「アンジュ、元気か? アンジュの好物を持ってきたよ」
アンジュはすぐさま顔を上げ、ヴェルミリオンを見た。ヴェルミリオンが腕の中のものをおろし、アンジュの前に置くと、ぱささ、と翼がはためき、嘴で色とりどりの果物を一度つついた。
すぐに顔をあげ、ヴェルミリオンに向かって機嫌の良い声を出したが、ふいにミミズクに似た耳をぴくりと立てた。その目が、じっと若い主人を見つめる。
ヴェルミリオンは内心で冷や汗をかいた。喉元に刃物を突きつけられているようだ。
しばらく、居心地の悪い沈黙が漂った後――。
『ギュイー!!』
激しく機嫌の悪い叫びと共に、アンジュは体を起こしてばさばさと威嚇の羽ばたきを行った。藁が舞い、雨のようにヴェルミリオンに降りかかる。
「うっ、ぷ! アンジュ、悪かった!」
『ギュ! ギュイィ!!』
「仕方なかったんだ! 陛下のご命令で……!!」
機嫌を損ねた《グリフォン》に臆することなく、だが必死にヴェルミリオンが言い募る。
そんな様子を離れたところから――厩舎の入り口に立つヴェルミリオンの友人は、うわぁ、と声をもらした。案ずるような、怯えるような、なんともいえない目で騎士とその愛獣を見る。
ヴェルミリオンといえば、いまをときめく若く才ある騎士、名門貴族の御曹司で、文武両道、真面目で礼儀正しく、おまけに爽やかで快活な美青年かつ物腰穏やかという、同性からは尊敬か羨望・嫉妬・敵意、異性からは熱視線と溜息を総ざらいしていっている青年である。
が、しかし。
『ギュイー!!』
「悪かったって!」
散らかった藁と羽根にまみれてひたすら低姿勢でまくしたて、しかもその相手が猛獣の類、という様子からはどう見ても同一の青年とは思えない。彼が腕の中にめいっぱい抱えてきた果物はアンジュへの貢ぎ物であった。
ひとしきり威嚇行動をとったあと、アンジュはやや落ちついたようだ。
『ギー』
房のついた尾がばしばしと藁をたたく。
『ギュイ!』
「すねるなって。愛してるよ」
ヴェルミリオンは優しさに満ちあふれた声で言い、すかさず両手でアンジュの頭を抱えて目をあわせた。そして嘴にちゅっと口づける。
ぎゃああ、と入り口付近から低い悲鳴があがったがヴェルミリオンには聞こえていない。
「私の相棒はお前だけだ」
『……ギー……』
ヴェルミリオンの手がアンジュの首筋に潜り込み、慣れた手つきで羽毛を梳く。アンジュはいやがる素振りを見せたものの、すぐに大人しくなってうとうとと目を細め始めた。眠そうな目が、ヴェルミリオンを見上げた。そしてその頭をヴェルミリオンの身体にこすりつける。
ヴェルミリオンは笑って、自分の額をアンジュの額にくっつけた。昔から変わらない、仲直りの証だ。
「今後とも頼む」
『キュイ』
嫉妬深いとはいえ、アンジュは基本的に優しく愛情深い性格だ。すぐに許してくれ、いつものようにヴェルミリオンに甘えて頭をこすりつけてきた。
ヴェルミリオンは笑い、アンジュ専用の毛梳きを持ってきて、久しぶりに時間をかけて丁寧に相棒の毛を梳いてやった。
ヴェルミリオンにとっても、この時間が一番心安らぐときであった。

相棒との仲直りをすっかり終えてヴェルミリオンが厩舎を出ると、入り口で待っていた友人がなんともいえない顔をしていた。
「……ヴェル、おまえこれ……」
「え?」
「また別の不毛な噂を呼ぶんじゃないか……?」
「何が?」
「……いや、いい……強く生きろ。俺、限界ぎりぎりまでお前の友だちでいてやるから!」
「?」
肩をぽんぽんと叩かれ、ヴェルミリオンは不思議そうな顔をした。

貴婦人たちの間で、最大の強敵が《アンジュ》であると噂されていることを、彼はまだ知るよしもない。


「白竜の花嫁」関連。
状況と今後についてなど…

「白竜の花嫁」についていまだ何も進展がなく、いろいろとご心配おかけしてすみません。 また、こうしてみ …

「白竜の花嫁」関連。
感謝

重複するような内容で申し訳ないのですが、その都度言いたいので……。 「白竜の花嫁」に関してのお手紙な …

「白竜の花嫁」関連。
御礼

白竜シリーズについてのお知らせについてたくさんメールをいただきました。 温かい言葉をいただきまして、 …