番外編1

詞菜の父は、山城の国主に仕えている。
国主というのは、山と森に囲まれたこの小さな国・山城の一番えらい人だ。一番大きな、立派な邸に住んでいて滅多なことでは民に姿を見せない。でも詞菜の父は違った。毎日あの大きなお屋敷に行って、お会いして、おつとめをしている。
母がそう教えてくれたとき、詞菜はふうん、と思っただけだった。いまいちよくわからなかったからだ。幼い少女にとって、見たこともない国主がどれほどえらいかというのはよくわからなかったし、その力を実感させられたこともない。ただ、父も同じように国主さま、国主さま、と神様について語るみたいに口にした。
――でも、山城の《神》さまは《竜》さまなんでしょう?
首を傾げた詞菜に、母は苦笑いしたものだ。いずれわかることよ、と言って。
この山城の神は、初代の国主に土地を与えたという《竜》。そのおとぎ話を誰もが聞かされて育つ。
だが誰も、国主以上に《神》の姿を見たことがないのだ。

「辰彌(たつみ)はどう思う?」
「……どう、って言われてもなぁ。うーん」
二人の幼い少年少女は、手を繋ぎながら昼の森を歩いていた。少年のほうは、少女より少しだけ背が高い。山城は深い森に囲まれているが、人里周辺だけはひらけている。そこからいくつかの散歩道が伸びていて、昼間でも明るく木々はまばらだ。
わずかに緑がかった木漏れ日が、二人の道を照らしている。
「《竜》かぁ。《御遣い》がいるから、《竜》がいてもおかしくないと思うよ」
「ふうん」
辰彌の答えに、詞菜はちょっとどきどきした。《御遣い》というのは空の生き物で、この山城の空を飛んでいるのをたまに見かけることができる。この生き物は、《竜》の眷属だとうたわれていた。
「で、でも、《御遣い》だってあんなお空のたかいところに住んでいるのに、《竜》はもっと高いところなんでしょう? だったら、見えるわけないよ!」
「それは、そうだね。でも向こうからは下が見えるんじゃないかな?」
辰彌はくすくすと笑った。それがなんだか、子供に対するような反応だったので、詞菜はぷっと頬をふくらませた。
辰彌は詞菜の幼馴染みの男の子で、親同士が仲が良く、家が隣同士ということもあって物心ついたときからずっと一緒だった。辰彌の父もまた、国主に仕えているのだ。
辰彌はいつでも頭がよくて、詞菜には考えつかないことや、わからない言葉を使って話す。辰彌の父が、将来は息子を国主に仕えさせようと厳しく教育しているからだ。詞菜はそれに憧れると同時に、ちょっとだけ悔しい。
(……でも、私がおとなになっちゃったら、もう手をつなげないのかなぁ)
まだ幼い詞菜が迷わぬように。親はそう言って、辰彌に保護役をまかせ、手を引かせるようにしている。
詞菜は、繋いだ手にちょっとだけ力をこめた。辰彌の手は温かくて柔らかい。
「……あー……」
「なに、辰彌?」
辰彌がそっぽを向いてしまったので、詞菜は眉根を寄せた。見ると、辰彌の頬が少し赤くなっているように見えた。
詞菜は訝しく思って、少年の手をますます強く握る。が、辰彌は意味のない言葉を二、三言って、居心地悪そうに身じろぐばかりだった。
「なに! どうしたの!」
「いや、手……ああもう、なんでもない……! 詞菜もはやく大人になればいいのに」
詞菜はむっと眉をはねあげた。ぱっと手を離す。
「辰彌のばか! 自分だっておんなじ子供のくせにっ!」
「あ、ちょ、ちょっと詞菜!」
べ-っと舌を出してみせ、詞菜は一人で走った。
「あぶないよ、詞菜!」
慌てたような声が後ろから追ってくる。そうしているうち妙に楽しくなってしまい、詞菜は笑いながら走った。おだやかな木漏れ日の道を真っ直ぐに進むと、前がぱっと開ける。きらきらと光る水面がまず目に入った。川が流れているのだ。
その手前で、詞菜の手は辰彌に捕まえられてしまった。
「やだー!」
「もう、一人で走ったら危ないって言われてるだろ! 森の中には獣もいるんだから!」
くすくす笑いながら逃れようとすると、辰彌は困ったような顔をする。
それが面白くて、詞菜は身をよじって逃れ、また走り出した。少しだけなら、奥へ行ったって大丈夫なはずだ。
「詞菜!」
辰彌が追いかけてきてくれるのが嬉しくて、なんだか身体が軽くなり、どこまでも走っていけそうだった。自分を呼ぶ声がくすぐったい。
「詞菜、止まって!!」
――そんなに必死に声をあげなくてもいいのに。でも、そろそろ立ち止まってあげようかな?
詞菜がそんなことを思っていると、頭上――前方の大木から、がさがさと枝葉が揺れる音がした。
足が止まる。詞菜は凍りつき、息を飲んだ。辰彌が追いついて腕を引っ張る。
言葉が出なかった。
背にかばわれながら、誰よりも頼もしい幼馴染みの背がかすかに震えていることに、気づいた。
――森の中には獣が住む。
恐怖が虫のように這い上がり、幼い二人をその場に縫い止めた。
がさ、がささ、と緑の枝葉が揺れ――高い、小さな悲鳴とともにどさりと何かが落ちた。
詞菜も辰彌も目を丸くした。
葉っぱを散らし、落ちてきたのは黒く小さな塊だった。ぴぃぴぃと小鳥のような鳴き声がする。
詞菜は内心で、あっと声をあげた。
鳴き声をあげていたのは巣ごと抱かれた小鳥で、だがそれを抱いている黒い塊は、人間の少女だった。長い黒髪に葉っぱをたくさんくっつけ、あちらこちらにはねさせながら、腕に抱いた巣をそっと覗き込んでいる。巣の中で小鳥は血のにじむ翼をばたつかせていた。
絶句したままの詞菜とは違い、辰彌は一足先に正気を取り戻し――それから、実際に声をかけた。
「ね、ねえ、君は……」
辰彌がおそるおそるそう声をかけたとたん、黒髪の少女ははっとしたように顔を向けた。
その、大きな目が見開かれる。
詞菜は小さな悲鳴をあげてしまった。
少女の瞳が、血のような――紅の色をしていたからだ。
詞菜は一瞬それに恐怖を覚えた。だが、辰彌は逆に一歩踏み出してさえ見せた。
「君……もしかして……」
辰彌が近づき、何気なく右手を持ち上げると、紅い目の少女はびくりと震えて強く目を閉じた。まるでぶたれることを予期したかのように。
辰彌も詞菜も、その反応にびっくりした。
そのまま辰彌が硬直していると、少女はおそるおそる、長い睫の連なった瞼を持ち上げた。怯えた紅の瞳が辰彌を見上げる。
――その揺れる大きな瞳は、傷ついた仔猫のように見えた。
卵型の顔も、雪みたいに白い肌も、小さい花びらみたいな唇も、綺麗に彫られた鼻筋も、とても手のこんだつくりものみたいだ。自分と年が同じくらいの女の子なのに、人じゃないみたい。詞菜は感嘆にも近い気持ちを抱いた。
「え、ええっと、僕は、辰彌って言うんだ。そ、その鳥、どうしたの?」
うわずった声で辰彌が言う。
黒い髪に紅い目をした娘は、困惑し、怯えの欠片を残しながら辰彌と、詞菜とを見る。そして、また小鳥に視線を戻した。
「猫が、この小鳥をおいかけていたの。なんとか逃れたんだけど、怪我をしたみたい」
少女の唇から声がこぼれ、詞菜はまたびっくりした。
鈴が震えたような声だったのだ。
だが遠くから別の誰かの声が聞こえてくると、少女ははっとしたように顔を上げ、巣ごと小鳥を抱いたまま立ちあがった。森の奥へ身体を向ける。
「あ、君……! ねえ、名前を教えて!」
辰彌が声をかけると、少女は一度だけ立ち止まり、顔だけで振り向いた。
「わたし、澄白」
それだけ言って、少女は葉っぱにまみれた黒髪を揺らし、小鳥を抱いたまま走っていった。
辰彌は手を伸ばした状態のまま固まり、詞菜もあ然としていた。
――澄白。
凛とした音楽のような響きが、耳に透明な余韻を残す。
今度は詞菜のほうが先に正気に戻り、辰彌の手を引っ張った。
「ねえ、辰彌。辰彌ってば!」
「……あ、え、え? ああ、ごめん。なに?」
「なに、じゃないっ! あの子、だれ? なに!?」
詞菜は興奮気味にまくしたてる。辰彌の目元がほんのちょっと赤くなって、彼にしては珍しく、子供っぽい興奮をあらわにしていた。
「詞菜、知らないの? あの紅い目……国主さまの末の姫様だよ! あの……、《忌み姫》って呼ばれてる!」
「えっ!」
詞菜は目を見開いた。それから、話は聞いていた、紅の《忌み姫》のことを思い出す。
――国主さまには二人の奥方がいる。一人はご正室で、もう一人はご側室。だがご側室は外からきた《よそ者》で、国主さまは周りの反対を押し切って結婚なさった。けど、のちに正気に戻られて側室を隔離した。だがそのご側室は、一人の子供を生んでいる。子供は母親にそっくりの、紅い目をしていた。半分は国主さまの血を引いているわけだから姫君であることには違いないが……。
(わざわいをよぶ、《忌み姫》……あの子が?)
紅い目は、流血沙汰を招く。災いを呼ぶ。だから《忌み姫》。
詞菜は信じられない思いだった。
「でも、あの子……」
「うん、すごく可愛い子だったね。あんなに可愛い子が《忌み姫》だなんて信じられないよ」
まさしく思っていたことを言い当てられ、詞菜はいつものようにうなずくはずだった。だが、できなかった。
「痛っ! 何するんだよ詞菜!」
「知らないっ!」
辰彌の背中を思い切り叩いたあと、詞菜はぷいっと顔を背け、踵を返して足早に来た道を戻った。
なんだか無性に腹が立った。不審火のように胸についた怒り、苛立ちは焦りさえ巻き込んで詞菜の幼い胸を焼く。
(辰彌がいけないんだから!)
可愛い、なんて女の子をあんなに強く褒めたことなんて、いままでになかった。自分に対してでさえも。
「詞菜! ちょっと、待ってよ詞菜! なんでぶつんだ! なんで怒ってるの!?」
「別にっ!」
「わけがわからないじゃないか……!」
焦ったように言いながら、辰彌が小走りになって後をついてくる。
苛立ってしようがなかったので、詞菜はもっと意地悪なことをしてやろうと頭をめぐらせた。
そうだ、会ってはいけない《忌み姫》に会ったというのだから、親に報せよう。そうしたら、辰彌は怒られるだろうし――。
「あ、あのさ、詞菜。あの子と会ったことは、内緒にしておこうよ」
心の中を読まれたような言葉に、詞菜は心臓が口から飛び出してしまいそうになった。
「なっ、なんでっ……!?」
「だって、言ったら親に怒られてしまうし、もうここには来るなって言われるかもしれないよ。詞菜はそれでいいの?」
優しい声で言われ、詞菜はむすっとした顔をつくらねばならなかった。こういう声をする辰彌に、何度もなだめすかされてきてしまったからだ。いまも、水をかけた火みたいに怒りがしぼんでいってしまうのがわかる。
「……よ、よくないけどっ」
「だろ? それで、詞菜はあの子と友だちになりたくないの?」
友だちがたくさんほしいって言ってたじゃないか、と辰彌が言う。
詞菜は、そこではっと目を丸くした。山城では、同い年の子供がそんなに多くない。周囲はみな、詞菜より上か、赤ん坊といったばかりなのだ。同い年の、それも同性の存在というのはかなり珍しかった。くわえて、詞菜はえらい家の子だから、と敬遠して遊んでくれない。同格の辰彌だけが普通に接してくれる。だが辰彌は同じ女の子ではない。
「……友だち、に、なれるのかなぁ……」
澄白と名乗ったあの女の子が、自分と友だちになってくれたらどんな感じがするだろう。そう考えると、詞菜はどきどきしてしまった。あの子はどんな遊びが好きなんだろう。どんな色が好きで、どんな花が好きで、縫い物は得意だろうか? 詞菜の家では、母親が将来のためにと裁縫を教えはじめている。針と糸を使ったそれが退屈だし苦手で仕方がなかったけれど、あの子も同じことをしているのだろうか。
「うん、だからさ、詞菜。僕たち二人だけの秘密にしよう」
言って、辰彌は口元に人差し指をたてる仕草をする。
二人だけ、というその響きが、詞菜の機嫌を一気に良くした。
「うん!」
「じゃ、また明日ここに来よう。一緒に」
詞菜はまた、元気よくうなずいた。そしてどちらからともなく手を繋いで、帰り道を歩いて行った。


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